社長ブログ
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日々の気づきを投稿中

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神社仏閣

2021_11/12

神社でのご利益

神さまに、

「頑張ります!」と誓いを立て努力する人は結果がでる。

「お願いします!」と神頼みだけの人はいつまでも結果がでない。

きっとこういうことなのでしょうね(笑)静岡護国神社

2021_10/19

静岡護国神社に初孫のお宮参り!

17日に静岡護国神社に初孫のお宮参りに長男夫婦と長女夫婦と共に行ってきました。

我が家では父の代から静岡浅間神社での参拝が多かったのですが、七五三の季節と重なり駐車場も混雑すると聞いていたので静岡護国神社に行く事に。

広い境内の厳かな雰囲気の中、初宮参りの3組で祈祷していただきました。

我が家は初孫でしたが他の2組は3人目の赤ちゃん。

少子化の中、3人目も産もうと思ってくれたことがとても嬉しく思いました。

共に健やかに成長しますように!

静岡護国神社にて初宮参り

静岡護国神社

2021_06/02

ご利益って?

どこの神社でもある「ご利益!」をネット辞書で調べてみました。

「神仏が人間に与えるお恵み、幸運」と書かれてありましたが、冷静?に考えると「ご利益」を考えたのはあの世にいる神さまではなくて、この世にいる人間だということが分かります。

きっと、数多くの参拝者に来てもらいたいというところから始まったんでしょうね。

静岡浅間神社

2021_04/04

今年は皇紀2681年

昨日の4月3日は初代天皇の神武天皇が崩御した日。

神武天皇が祀られている橿原神宮(奈良県)では、神武天皇祭が執り行われます。

神武天皇が即位したとされる年を元年とする日本の紀年法が「皇紀」であり、キリスト紀元よりも660年も前。

昭和15年に行われた紀元2600年式典では、全国11万もの神社において大祭が行われ、展覧会、体育大会など様々な記念行事が外地を含む全国各地で催されたといいます。

今年は皇紀2681年であり、皇紀2700年祭まであと19年。

その時の私の年齢が82歳ですが、五体満足でお祝いしたいものだと、ふと思いました!

橿原神宮HPより

2021_02/08

靖国神社「オンライン祈願」

靖国神社崇敬会の会員になっているので定期的に会員誌が送られてきます。

先日送られて来た中に「靖国神社オンライン対応のご案内」というチラシが入っていました。

「オンラインご祈願」と書かれてあったので、在宅に居ながら「ご祈願」ができるのかなと思ったのですが、下記に書いた「祈願の種類」を選択し、「祈願料」を選択すれば2週間後に神札(木札)が送られてくるということと、お守りや書籍等がネット注文できるようになったという内容でした。

全国をみれば既に取り組んでいるところはあるのでしょうね。

伊勢神宮はどうなのかと、ホームページを確認しましたがオンライン対応はなさそうでした。

祈願の種類
国家安泰・家内安全、神恩感謝、厄除、万国平和、疫病退散、合格、交通安全、病気平癒、学業成就、
身体健全、安産、心願成就

祈願料
5000円(木札小)、10,000円(名入木札中)20,000円(名入木札大)、50,000円(名入木札特大)

靖国神社 オンライン対応

2021_01/28

達磨寺の主祭神は北斗七星でした!

縁起達磨の発祥地とされる達磨寺(群馬県高崎市)
 
名前からして本尊は菩提達磨(ぼだいだるま・達磨太師)だと思っていましたが違いました。

祀られているのは北斗七星を神格化した北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)。

達磨寺は前橋城(現在は群馬県庁)の裏鬼門(南西)を護る寺として1697年開創。

通常お堂は南向きや東向きが多いが、達磨寺の正面は北だそうです。

なるほど・・・。

以下達磨寺HPより・・・・・・・
達磨寺の霊符(本堂)には北斗星を神格化した、北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)霊符尊をお祀りします。
北辰鎮宅霊符は天神地神、日月じつげつ星辰せいしんの総帥として過去・現在・未来三世の運勢を支配し、吉凶禍福・家相方位を司る霊神で、善星(よいこと)を招来して幸福を守護し、悪星(悪いこと)を除いて悪事災難を消滅する大威徳を具えています。
達磨寺は前橋城(現在の群馬県庁)から見て南西に鎮座しており、前橋城の裏鬼門を守護する寺として創建されました。通常お堂は南向きや東向きに建てられることが多いですが、達磨寺は北極星(北)を向いています。
関東隋一の方位除・八方除の祈願所として信仰されています。

群馬県庁と達磨寺

2021_01/25

縁起達磨から分かったこと!

縁起だるまのことをネット検索していたら下記のことが分かりました。

なるほどねぇ!!

調べれば調べるほど、興味が沸いてきます!

室町時代末期より、碓氷川(群馬県高崎市)のほとりに厄除・子授け・縁結びにご利益のある観音様を祀るお堂があった。

延宝八年(1680)一了居士行者が霊夢によって訪れ、信心を凝らして一刀三礼、達磨大師の座像を彫り上げ観音堂にお祀りした。この噂は「達磨出現の霊地・少林山」として近隣に広まった。

当時、前橋藩第4代藩主酒井忠清(4代将軍・徳川家綱時に大老)は前橋城の裏鬼門を護る寺として、元禄十年(1697)少林山達磨寺(曹洞宗寿昌派)を開創。享保十一年(1726)水戸徳川家から永世の祈願所とされる。

縁起だるまの始まり

今から200年ほど前、天明3年に浅間山の大噴火があったり天変地異が多く起こり、大飢饉となる。

この惨状を見かね、生活の苦しかった付近の農民救済のため9代目の住職東嶽(とうがく)和尚は、開山心越(しんえつ)禅師の画かれた「一筆達磨坐禅像」をもとに木型を彫り、張り子のだるまの作り方を伝授した。

そして正月七草大祭の縁日に掛け声勇ましく売られるようになったのが縁起だるまの始まり。

達磨寺HPより


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