6月10-11日、静岡と岐阜の企業7社13名と、福島第一原発視察を含む東北被災地を訪問しました。
この企画は昨年から今年にかけて弊社で4回にわたって社員で東北の被災地を訪問した研修を行ったことに際し、県内企業から「ぜひ自社の社員にも経験させたい」とのお声をいただき、実現したものです。
(写真提供:東京電力ホールディングス)
名取市閖上へ
まず訪れたのは宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。ここは東日本大震災の際、住民5700名のうち、753名が津波で犠牲となられた方がいらっしゃいます。どこまで見ても平地の広々とした草原に、3.11前は私たちの住む街となんら変わりのない生活がそこにはありました。

ここに地震から1時間後に、8.4mの津波が街を襲いました。ご案内いただいた格井さんもご両親を津波で亡くされた経験をもとに、
・今までの東北地方を襲った地震でも閖上地区には津波は来ず「閖上には津波は来ない」という迷信ができてしまったこと。
・一度、避難してから寒くて「まだ大丈夫」と家に防寒具などを取りに行ってしまったこと。
・防災無線が壊れてしまっていたこと。
と、お話くださり、南海トラフ地震を控える静岡の私たちに「からぶってもいいんでねえの、助かれば」ととにかく逃げること、とお伝え下さいました。

格井さんが閖上での悲しい出来事を丁寧にお話くださったのは、「自分たちの経験を、無駄にしないでほしい」という、私たちへのメッセージでもありました。
大槻さんから被災体験を伺う
午後からは隣の岩沼市へ。ここでは東松島市野蒜に住む大槻さんより、津波で自宅や会社が流されながらも、4人の子供達を守り抜いたお話を伺いました。

あの日、ほんの紙一重で家族の生死が別れた中、母として妻として、それぞれ違う場所にいた子供達を助けるためにどのように行動をしたのか。大槻さんの一言一言が心に刺さってきました。
「報道でなんとなく知っていた自分」と、大槻さんの現実のお話がまったく違いすぎた」
「自分も子供が4人いるが大槻さんのお話を通して「自分の家族だったら」と、涙なくしては聞けなかった」
「今は家族それぞれが幸せに暮らしています」という大槻さんのお話を通して、震災後の混乱時どう行動するのか、自分ごととなった貴重な時間となりました。
仙台空港横の松林ボランティアへ
午後からは、参加者の皆さんにどうしてもあっていただきたかった方、田中秀穂さん(86歳)の松林ボランティアに行きました。

仙台空港の横には以前、立派な松林が林立し、防風林・防災林として地元の皆様の生活を守っていました。しかし東日本大震災の大津波により、ずべて松林は薙ぎ倒されてしまいました。田中さんは樹木医としての知見をフルに活かして、「千年続く松林を!」と故郷復興に情熱をかけてこられました。荒地となった土地の整備、石拾いから、土壌の改良、静岡や京都御所などから種、苗を集め、地元の子供たちに故郷復興にかける思いを語り、苗を育ててもらい、植樹をされました。
あれから11年。松は7、8mまで成長してきました。これから40mの大木に育つために、松にからみつくツルを除去するお手伝いをしました。

私たちが行ったのは、広い土地のほんの一部の部分だけです。
それでも田中さんは「皆さんのおかげで松はこれからも成長していきます。ありがとうございます。ありがとうございます」と、おっしゃってくださいました。

2日目、中間貯蔵施設へ
2日目の午前中は、大熊町にある中間貯蔵施設を視察しました。
中間貯蔵施設は、福島県内の除染で発生した土壌や廃棄物を最終処分するまでの間、安全かつ集中的に貯蔵するための施設です。ここに貯蔵されている除去土壌等は、2045年までに福島県外で最終処分することが法律で定められています。

案内してくださる若い担当者の方が、現在の状況を正しく知っていただき、皆さんの周りで正しく伝えてほしい、というお気持ちが伝わってきました。途中、福島第一原発をの原子炉1号機〜6号機まで見渡せる場所に。
そこの間にある中間貯蔵施設は、ここにあった80世帯の集落は、先祖代々の土地で暮らしていたため、土地の売却は反対だったといいます。
しかし会津に避難した際、温かな皆さんの支援をいただき、「福島復興のために」とこの土地を売却することを決意された、との住民の方の葛藤の上での決断のことが、大変心に残りました。

中間貯蔵施設では除染した土の処理も終盤に入り、次は2045年までに福島以外のどこに運ぶのかという問題です。「自分の地域はNG」という問題ではなく、国民一人ひとりが考える内容であると感じました。
福島第一原発へ
福島第一原子力発電所では、事故から年月が経過した今もなお、廃炉という困難な課題に向き合い続けている方々の存在を知りました。
復興は過去の出来事ではなく、今も続いている営みあり、現場で働く方々の努力と覚悟に触れ、その現実から目を背けてはならないと強く感じました。同時に、見えない場所で今も支え続けている方々への感謝の気持ちを抱きました。
(写真提供:東京電力ホールディングス)
会社を超えて、被災地を訪問した2日間。南海トラフに備える私たちにとって、多くの学びを気づきを得た貴重な機会となりました。
