3月21日に「神風特攻攻撃後続隊・入隊許可証」の記事をアップしました。 神風特攻後続隊て何だろうと思って、知覧特攻平和祈念館と鹿屋(かのや)航空基地資料館に問い合わせみたところ、電話に出て頂いた両方の担当者の方からは明快な回答を得ることができませんでした。 「多分こうじゃぁないですか?」というお二人の話しをまとめると、戦争末期でドタバタしていた時期でもあり、海軍飛行予科練習生(予科練)に入る前の部隊・・・つまり後続隊という意味ではないかと! 終戦近く、玉砕を覚悟していた軍部ですから、徴兵されていない若者に一般募集したのでしょう。 仮に、飛行訓練しなくとも「震洋(しんよう)」というベニアで作った小型ボートに250kg炸薬を搭載して上陸船団に体当たり攻撃する作戦も実施されたそうです。 「神風特攻後続隊」をネット検索してもヒットしませんでした。 知覧特攻平和記念館と鹿屋航空基地資料館の方も知りませんでした。 この後続隊入隊許可証って結構貴重な資料かも・・・・・・・(^^) 追伸、 前回のブログの中で、父が祖父に神風特攻後続隊に申し込んだことを伝える部分が間違っていました・・。 靜岡工業高校卒業の父は友人と一緒に申し込み、その血判状を祖父に見せた所、黙って受け取り後日、日本刀を渡してくれたと!! 日本刀を渡すことで自分の思いを息子に伝えたかったのでしょう。 ちなみに徴兵は20歳、工業高校卒業の場合は1年遅れだったのですが、父が申し込んだのは高卒後の夏でした・・・。 神風特攻後続隊 入隊許可証 村田保