社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

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2026.04.16

15年の時を経て。全国の自動販売機に広がる「ありがとうシール」

昨日、大手新聞社の方から一本の電話が入りました。

「村田さんが15年前に投稿された『ありがとうシール』についてお聞きしたいことがああります」

「どのようなことでしょうか?」

最近、全国の自動販売機のコイン投入口やカード読み取り部分に、写真の「ありがとうシール」が貼られているケースが相次いで報告されているのだそうです。

記者の方いわく、「全国的にそのような現象が見られるため、調べている」とのことでした。

私はこれまで気にしたことがなかったので、実際に貼られているところを見たことはありません。

もしかすると、みなさんの地域の自動販売機にも、このシールが貼られているかもです。

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2026.04.15

駿府の発展と家康公。私たちが受け継ぐ「ものづくり」のDNA

徳川家康公が晩年(1607年〜1616年)を駿府(現在の静岡市)で過ごしたことは、一般的に知られていると思います。

この地にとって単なる「隠居地」以上の大きな意味を持ち、都市としての骨格と文化の基礎を築く決定的な要因となったということは、静岡市で生まれ育った人たちは、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

私が住む市ということもあり調べてみました。

家康公が駿府で展開した「大御所政治」により、駿河は次のような形で発展した。

1、「駿府城」を中心とした巨大な城下町の整備

家康公は、駿府城を当時の最新技術を駆使して大改修すると共に、以下の大規模な都市計画が実行された。

駿府城を中心に、整然とした碁盤の目の街路が整備された結果、現代の静岡市の中心街にも、当時の町割りの名残が色濃く残った。

駿府の最大の弱点であった安倍川の氾濫を防ぐため、大規模な堤防工事(家康堤)が行われたことで、氾濫原であった場所が安心して住める市街地となり、経済活動の安定に直結した。

2、全国から職人と文化の流入

「大御所」となった家康公のもとには、全国から腕利きの職人、商人、文化人が集結した。

駿府城の改修や城下町の建設のために、日本全国から優秀な工匠(建築家、石工、大工など)が呼び寄せられた。

彼らが定住したことで、静岡の地には高度なモノづくりの基盤(現在の静岡が誇る木工、漆器、模型、ひな人形などのルーツ)が形成された。

また、茶の湯や能、学問などの上質な文化が持ち込まれ、駿府は江戸に次ぐ「東の都」のような華やぎを見せた。

3、経済と流通の要所としての発展

駿府は東海道の重要な拠点として、参勤交代や物流の要衝としてさらに発展した。

江戸(将軍・徳川秀忠)と駿府(大御所・徳川家康)の「二元政治」が行われたため、全国各地からの情報、献上品、富が駿府に集まり、極めて経済力の高い都市となった。

4、「静岡」らしさの形成

家康公が亡くなった後、駿府は徳川家代々の尊崇を受け、家康公を祀る「久能山東照宮」をはじめとする神聖な場所として守られた。

この「家康公と縁の深い街」という誇りが、明治時代以降の静岡の発展や、現代の歴史観光の核となることに繋がった。

「なるほどねぇ!」

先人が残してくれたこの豊かな文化と技の伝統。

歴史ある地で仕事ができる喜びを噛み締めながら、私たちも次世代へ何かを繋いでいけるよう、今日という一日を大切に積み重ねていきたいと思います。

写真:静岡駅北口にある徳川家康像

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2026.04.14

日課のラン&ウォーキングと「護国神社」への想い。平和な日常に感謝して。

毎日の健康維持と心のリフレッシュを兼ねて、自宅から静岡県護国神社までの往復6キロを「ラン&ウォーキング」するのが日課です。

馴染み深い場所ですが、ふと「護国神社」という名前の由来が気になり、改めて調べてみました。

そこには「国を守る」という言葉通り、尊い命を捧げた方々の御霊を祀り、今の平和な日本を祈り続けるという深い歴史が刻まれていました。

明治以降の招魂社から始まり、全国の護国神社として受け継がれてきた「平和への願い」。

私が日々駆け抜けているこの道は、先人たちの犠牲の上に成り立つ、かけがえのない平和な日常なのだと改めて感じます。

これからも、歴史の息吹を感じながら、一歩ずつ健やかに歩みを進めていきたいと思います。

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2026.04.13

「ありがとう」「感謝します」という言葉が持つ、静かなる力

「ツキを呼ぶ魔法の言葉」で知られる五日市剛さん。

今では多くの方を導く存在となられましたが、私にとっては少し懐かしく、そして特別な思い出のある方です。

五日市さんが勤めていた会社から材料を仕入れていた時期があり、当時技術担当だった彼とは、仕事の合間に気軽に言葉を交わす仲でした。

サラリーマン当時の彼から聞いた言葉は、何十年経った今も私の心の中に深く刻まれています。

「ありがとう」「感謝します」と思う人には、幸せがもたらされる。

この言葉に出会った当初は、ただの綺麗な言葉に聞こえたかもしれません。

しかし、経営者として長く現場に立ち、様々な「あり方」を見てきた今、その意味の重さが痛いほど分かります。

成功を追い求めることよりも、目の前の人に感謝され、自分自身も感謝を忘れないこと。

これこそが、人生を豊かにするための最もシンプルで、かつ最も力強い「魔法」なのだと確信しています
自分が発する言葉が、誰かの幸せのきっかけになることを願い、今日からまた一言ずつ、感謝の種を蒔いていきたいと思います。

写真」22年前の写真

 

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2026.04.12

歳を取るということ。「よっこらしょ」の重みと身体の変化

若い頃、高齢の方が上半身を90度に曲げて作業をしている姿を見て、ふと疑問に思ったことがありました。

「なぜ、両ひざを曲げて作業をしないのかな?」と。

ところが、自分自身が68歳になった今、ようやくその理由が分かりました。

かつて雑巾がけをするとき、私は両ひざをしっかりと曲げ、カニ歩きのように移動しながら掃除をすることが普通でした。

当時はそれが何の苦でもなかったのです。

しかし、年齢68歳となった今の私にとって、両ひざを深く曲げることは大きな負担になってきました。

曲げながらの移動するのも一苦労だし、立ち上がる時に、思わず「よっこらしょ!」と声が出てしまう。

そして、曲げながらの移動するのも一苦労。

物を落としたとき、両ひざを曲げてしゃがみ込むよりも、つい腰を90度に曲げて取りたくなってしまう。

あの時の高齢の方たちの行動が、今となっては痛いほどよく分かります。

これが「歳を取る」ということなのでしょうね。

抗えない身体の変化を少し寂しく感じつつも、これからは自分の身体と上手に付き合いながら、無理のない範囲で日常を大切にしていこうと思います。

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2026.04.11

「勝つことへの執着を手放すことで、得られる心の豊かさ!」

「私たちは『なにごとにも勝つ』ことに執着するように教育されてきた」と小林正観。

私たちは、幼い頃から、競争に勝ち、他人より秀でることこそが「幸せ」であるかのように教えられてきた気がします。

しかし、本当にそれで心は満たされるのでしょうか。

「勝つこと」よりも大切なのは、目の前の出来事をありのままに受け入れ、感謝することかもしれません。

結果に執着せず、今この瞬間の自分にできることを精一杯やる。

そんな「和の心」を大切にした日常を、これからも一日一日、丁寧に積み重ねていきたいと思います。

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2026.04.10

100社あれば100通りの「あり方」がある。               坂本光司研究室で学んだ経営の真髄!

「人を大切にする経営」を30年前から提唱されている坂本光司先生。

私は坂本先生が法政大学大学院で教鞭を執られていた際、4年間にわたり坂本光司研究室で学ぶという貴重な機会をいただきました。

在籍中、坂本先生やゼミの仲間と共に訪問した企業は、実に250社にのぼります。

それぞれの現場へ足を運び、その社風を「五感」で感じ取った体験が、今も私の大きな財産となっています。

多くの現場を歩く中で学んだのは、「人を大切にする経営」を実践している会社の「あり方」があるということ。

いい会社が100社あれば、100通りの「あり方」があり、100社あれば100通りの「やり方」がある。

他社の成功事例をそのまま真似しようとしても、決して上手くはいきません。

しかし、数多くの「あり方(企業の姿勢)」に触れ、学び続けるうちに、自ずと自社に合った「やり方」が少しずつ見えてくるようになります。

見えてくるようになったら、できるところから一つひとつ、右往左往しながらも泥臭く実践していくこと。

当社も、「いい風」が吹く社風にしたいなぁと思っています。

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