社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

2025.11.21

前向きな考えができる組織は力強く前進することができます!

前向きな人たちが集まると、当たり前のように「前向きな意見」しか出ません。

「こうやったらできる」
「ああしたらできる」

空気が明るく、話しているだけで活力が湧いてくるものです。

一方で、現状維持を望む人たちが集まった場では、

「今のままでいい」
「新しいことに興味がない」
「変わるのは面倒」

という声が中心になりがちです。

すると、次第に「できない理由」ばかりが並び、
前へ進む力がどんどん失われていきます。

最近、そんな “二つの世界の差” を強く感じる出来事がありました。

やはり、挑戦を受け入れず現状維持を貫く組織に「前進」は生まれません。

人も組織も、前を向く人のエネルギーが集まるところに成長が訪れる──そんなことを改めて痛感しました。

この記事をシェアする

2025.11.20

「出る杭」をどう扱うかで組織の未来は変わるのでは?

ことわざに「出る杭は打たれる」とありますが、私はこの「出る杭」こそ組織の未来を広げてくれる存在ではないかと感じています。

新しい取り組みや改善案を出す人ほど、最初は周囲と違う行動をするため、どうしても摩擦が生まれる。

しかし、組織を良くしようと考えるなら、波風を恐れていては何も変わりません。

会社が社長の器以上にならないように、チームもリーダーの器以上には成長しません。

「出る杭」を伸ばせるリーダーがいるチームは、強くなる組織なんだろうなぁ。

一方で、自分のやり方に固執し、新しい芽を潰してしまう人は、周囲の信頼を失っていくのは間違いありません。

大切なのは、「その杭は打つべきなのか、それとも伸ばすべきなのか?」を冷静に見極めること。

じゃぁ、果たして今の自分はどちら側にいるのでしょうか?

この記事をシェアする

2025.11.19

信号機の青信号「緑色」なのに、なぜ「青色」というの?

信号機の「青信号」は緑色をしているのに、なぜ「青色」と呼ぶのでしょうか疑問に思い調べてみました。

日本語の色の歴史が関係しており、青色というのは緑を含む意味で使われていました。

緑色をしているのを「青りんご」
緑色をしているのに「青菜」
緑色しているのに「青虫」、、などがその名残です。

1930年に信号機が日本に導入されたときも、国際基準では「緑」なのに、国民は自然と「青信号」と呼んでしまったとか・・・。

そのため信号機の色も、少し青みがかった独特の「青緑」に調整されたと言われています。

言葉の歴史が今も生活に生きているようです。

この記事をシェアする

2025.11.18

「前世のやり残しが今世の課題?」

仏教では、人は生まれ変わりを繰り返しながら魂を磨くと言われます。

もしそうだとすれば、私たちが今この世で「つらい」「逃げたい」と感じる出来事は、単なる不運ではなく、前世から持ち越した“課題”なのかもしれません。

嫌なことに向き合うのは誰にとっても苦しいものですが、乗り越えるたびに心が強くなり、魂が一段成長していく。

逆に逃げ続ければ、来世でも同じテーマが再び目の前に現れるのではないかと思っています。

そう考えると、目の前の問題は「試練」ではなく、「成長のチャンス」。

逃げたい気持ちが出てきた時こそ、自分の魂が向上するタイミングなのかもしれません。

輪廻転生の教えは、「嫌なことから逃げない勇気」を教えてくれているのだと感じます。

この記事をシェアする

2025.11.17

静岡市内にある「軍神社」の由来は?

静岡市内に、以前から気になっていた神社があります。

その名も「軍神社」。

名前からして戦にゆかりのある場所だろうとは思っていましたが、調べてみると由緒ある神社でした。

軍神社は、主祭神は、武の神として知られる武甕槌命(たけみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)。

平安時代に坂上田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)が蝦夷平定を記念して創建したと伝えられています。

(坂上田村麻呂・・・ 4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事を支えた一人であり、二度にわたり征夷大将軍を勤めて功績を残した。)

(蝦夷【えみし、えぞ】とは、古代から中世にかけて、主に大和朝廷【中央政府】の支配領域の外、特に東方・北方【現在の東北地方や北海道】に居住していた人々に対して、中央政府側が用いた呼称)

さらに、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際にこの地で戦勝祈願をしたという伝説も残っています。

徳川家康が本殿に幟(のぼり)や鉾(ほこ)を奉納した記録もあり、地元でも特に歴史深い神社の一つ。

いずれも“軍神”として古くから信仰されてきた神々です。

神社のすぐ横には旧東海道が通っており、かつて戦に向かう武士たちがここで祈りを捧げたのだろうか……と静かに思いを巡らせてしまいます。

この記事をシェアする

2025.11.16

福島第一原発視察で感じた「命を懸けた現場」の現実!

福島第一原発1号機は、日本で最初に建設された商業用原子炉。

アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)が日本の原子炉技術を指導する目的がありました。

1号機から4号機まではGE指導の元に東芝・日立製作所が関わりノウハウを構築。

当時、アメリカでは津波を想定した設計が必要ではなかったため、非常用ディーゼル発電機はタービン建屋の近くの低い位置に設置されました。

福島第一原発の敷地は海抜約10mでしたが、実際には約15mの津波が襲来。

これにより非常用発電機が浸水して使用不能となり、原子炉を冷却できず重大事故へとつながることに。

その後、水素が原子炉建屋に漏れ出し爆発。

炉心内部の圧力は安全基準の2倍に達し、「いつ爆発してもおかしくない」極限状態の中で放射線量の高い建屋内へ突入し、圧力容器の爆発を食い止めた東京電力の社員たち、そして決死の注水作業を行った自衛隊員が日本を守った。

今回、我が社のスタッフと共にその現場を視察しました。

関係者約4,000名が、最長40年・約8兆円と言われる廃炉作業に日々取り組んでいます。

私自身は今回が3回目の視察ですが、そのたびに「この場所で命を懸けて戦った人がいた」という事実に、胸が熱くなります。

前日には、8.4mの津波で住民5,600人のうち756名が亡くなった宮城県・閖上(ゆりあげ)地区、そして343.6haの海岸林のうち307.0haがなぎ倒されてしまった仙台空港近くの防災林を視察。

震災後、この地域では「全長5km × 幅200m=約100ha」に37万本もの苗木が植樹されたそうです。

地元で造園業を営んでいる田中秀穂さんは、林野庁から託された1.5haの海岸林を守り、京都御所で採取した種から育てたクロマツ1万4,000本を植樹。

私たちは松の成長を妨げるツルの除去作業を体験させていただきました。

二日間の視察を通じて感じたのは、
「被災地では今も全力で復興が続いていること」
「震災の教訓を後世へ伝えようとする強い思いがあること」です。

今回参加したメンバーも、多くのことを学んだ視察となりました。

「写真提供:東京電力ホールディングス」

 

この記事をシェアする

2025.11.15

「今日もまた、ちょっと反省です!」

会議や打ち合わせの場で、

つい「あれがないからできない」「これがないからできない」と口にしてしまうことがあります。

特に、気の合わない相手から言われた時ほど、その傾向は強くなるものです。

一方で、周りから信頼を得ている人は、与えられた条件の中で最善を尽くそうとします。

環境や他人のせいにせず、「今あるものをどう活かすか」に目を向けられる人や組織は、逆境に強く、確実に成長していくのではないでしょうか。

「できない理由を探すより、できる方法を探す」

その積み重ねが、未来を切り開く原動力になる。

分かっちゃいるけど、つい口から出るのは“できない言い訳”ばかり。(^^;

今日もまた、ちょっと反省です。



この記事をシェアする