社長ブログ
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日々の気づきを投稿中

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神社仏閣

2024_02/17

「神職が持っている板は何?」

神社での正式参拝する際に、神職が持っている板が以前から気になっていました。

「あれは何?」

ということでネット検索。

笏→しゃくというそうで、当初はカンニンググッズから始まり今に至っているとのこと。

「なるほどねぇ!!!」

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欽明天皇の頃(六世紀)に中国から伝来したといわれており、中国においては役人が君命の内容を忘れないように書いておくための板であった。 日本では君前での備忘のため笏に必要事項を書き記した紙を裏面に貼って用いた。
その後、
和装にあわせる小物のひとつとなり、平安時代以降から公家の正装として着用されてきた。持つことで威儀を正すなどの意味合いがあり、神職が女性である場合は、代わりに扇を持つこともある。
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神職が持っている笏

2024_02/06

「神社・大社・神宮・宮」の違い!

それぞれの違いを改めて調べてみました。

「なるほどねぇ、、、勉強になりました」

「神社」は、日本古来の神をまつる一般的な施設。

「大社」は、第二次大戦前まで使用されていた全国の神社を格付けしたもので上位に位置する神社の中でも、全国に多数ある同名の神社をとりまとめる役割を持った神社を指し、確かな歴史のある神社。

出雲大社(島根県)、春日大社(奈良県)、諏訪大社(長野県)など。

「神宮」は、神社にまつられている神のことを祭神と呼び、皇室の祖先であったり、皇族と縁の深い神社。

伊勢神宮(三重県)、明治神宮(東京都)、熱田神宮(愛知県)など。

「宮」は、一般的に神宮と同じく皇族と関係の深い神社で、親王と呼ばれる天皇家の男子を祭神としている。

また、歴史上の重要(じゅうよう)な人物をまつった神社にも、伝統的に「宮」がつく。

東照宮(徳川家康)、天満宮(菅原道真)

写真:静岡護国神社
静岡護国神社

2024_02/04

静岡浅間神社「節分祭」豆まき奉仕!

昨日、静岡浅間神社で開催された節分祭御年役奉仕をさせていただきました。

背広の上に袿(かみしも)を着装。

正式参拝、「鬼やらい神事」後に60名の御年役と共に豆や福餅やお菓子をまいて無病息災を願いました。

私の隣はSBS静岡放送の影島さん(2022年入社)ですが、さすがに素敵な笑顔です(^.^)

静岡浅間神社 豆まき

静岡浅間神社 豆まき 左はSBS静岡放送アナウンサー 影島亜美さん

2024_01/05

火の神様「秋葉山本宮秋葉神社」

コロナ前の2018年に全国の秋葉神社の総本宮である秋葉神社(浜松市・創建は西暦709年・標高866m)に参拝する機会を得ました。

御祭神は、火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおみかみ)で伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)二柱の神の御子で火の主宰神。

御神徳は火災消除・家内安全・厄除開運・商売繁盛・工業発展。

当社は火を取り扱う仕事が多いので毎年参拝しなければと2019年に参拝したのですが、翌年からコロナになってしまい訪問する機会を逸していました。

久しぶりに参拝しなければと昨年12月29日に3年ぶりに正式参拝してきました。

標高が高いので上から見る景色はとっても素晴らしいんです。

秋葉山本宮 秋葉神社

秋葉神社 火まつり (秋葉神社HPより)

2024_01/02

1年のご報告!

毎年、大晦日は1年の報告をするため静岡護国神社と静岡浅間神社に参拝しています。

18時半過ぎの浅間神社境内は参拝する人も少なく物静かでとっても厳かな雰囲気。

神職や露店関係者が最後の段取りに忙しくしてる。

昨年は4家族8人でしたが、今回は2家族5人での参拝となりました。

静岡護国神社

2023_10/18

「村田さんですか?」と声を掛けられてビックリ!

毎朝、時間があれば自宅から静岡護国神社までの6kmを走っています。

参拝し終わった見知らぬ方と目が合いました。

すると「村田さんですか?」と声を掛けられてビックリ!

お聞きしたところ、静岡市オープンファクトリー(ファクトリー博覧会)の件で、NHKの取材があり、数秒ですが「村田ボーリング技研 村田光生さん」の字幕スーパー入りでインタビューを受けている私の顏が流れました。

その画像を覚えていてくださり、声を掛けてくれたそうです。

びっくりしましたがとても嬉しかったです。

こんなことってあるんですね。

写真:静岡護国神社



2023_08/16

静岡護国神社「英霊顕彰祭」に参列しました!

昨日、静岡護国神社で執り行われた英霊顕彰祭に慰霊の念をもって参列いたしました。

12時ちょうどに「大東亜戦争終結ノ詔書」(玉音放送)を拝聴。

護国神社受付で頂いた資料に「終戦の詔書」の現代語訳が書かれてありましたので下記に記しますが、じっくりと読むのは初めてです。

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 私は、世界の情勢と日本の現状について深く考えた結果、非常の措置によって今の局面を収拾したいと思い、ここに忠義で善良な国民に伝えます。
 
 私は、帝国政府にアメリカ・イギリス・中国・ソ連の四ケ国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告しました。

 そもそも日本国民の平穏無事を確保し、全ての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けていたものです。

 先にアメリカ・イギリスの二カ国に宣戦したのも、日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すような事は、私の本意ではありません。    

 しかしながらこの戦争が始まってからすでに四年が経過し、我が陸海将兵の勇敢な戦い、全官僚たちの懸命な働き、一億国民の身を捧げて尽力したにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えません。

 それどころか、敵国は新たに残虐な爆弾を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害がおよぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っています。

 それなのに、なお戦争を継承すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、更には人類の文明をも破滅させるに違いありません。そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子ともいえる国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)に詫びることができません。これこそが私が日本政府に共同宣言を受託させるに至った理由でああります。

 私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しても遺憾の意を表さざるを得なません。

 日本国民であって戦場で没し、職責の為に亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、わが身が引き裂かれる思いであります。更に、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建についても深く心を痛めています。

 考えてみれば、今後日本の受けるであろう苦難は言うまでもなく並大抵のものではありません。私は国民の心中もよく分かります。しかし、私は時の巡り会わせに従い、耐えがたく、また忍び難い思いを堪え、永遠に続く未来のために平和を実現しようと思います。

 私はここに国家体制を維持することができ、忠義で善良な国民の真心を信じ、常に国民と共にあります。もし、感情の高ぶるままに争い事をしたり、同胞同士が陥れたりして世情を混乱させることで人道を踏み誤り世界中から信用を失ったりするような事態になることだけは避けなければなりません。

 挙国一致し、この国を子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、国家の再建と栄への重い任務と遠い道のりを心に刻み、全ての力を将来の建設に傾け、道義心を向上させ、志を強固にして、我が国の美点を発揮し、世界の進歩に遅れないように努力しなければなりません。

 国民の皆さまは、私の思いをよく理解し、それに従って行動してください。

昭和二十年八月十四日

静岡護国神社

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