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日々の気づきを投稿中

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神社仏閣

2026_06/15

「伊勢神宮は誰が建てたの?天照大御神が選んだ理想の地」

昨日、20年ごとに執り行われる「第63回 伊勢神宮式年遷宮」のお木曳行事の記事をupしました。

今まであまり気にしたことがなかったのですが、ふと、「伊勢神宮って、一体誰が創建したのだろう?」という疑問が湧いてきたので、調べてみました。

現在の内宮(皇大神宮)の場所を定め、天照大御神をお祀りされたのは、今から約2000年前の第11代 垂仁(すいにん)天皇の皇女、「倭姫命(やまとひめのみこと)」です。

それよりも前、天照大御神は天皇の宮中(現在の奈良県にあった大和の都)で、天皇と同床共殿(どうしょうきょうでん:同じ部屋で一緒に暮らすこと)としてお祀りされていました。

しかし、第10代 崇神(すじん)天皇の時代に「神様のパワーがあまりにも強すぎるため、宮中からお出しして、もっとふさわしい清らかな場所でお祀りしよう」ということになったのです。

そこで、神様の「御杖代(みつえしろ:神様の杖の代わりとなって仕える者)」として、最高の地を探す旅に出たのが倭姫命でした。

大和の国(奈良)を出発し、伊賀、近江、美濃、尾張(三重、滋賀、岐阜、愛知)など、気の遠くなるような長い年月をかけて各地を巡られ、最後にたどり着いたのが伊勢の地でした。

伊勢に辿り着いたとき、天照大御神からこのような神託(お告げ)があったと『日本書紀』に記されているそうです。

「この伊勢の国は、美しい波が打ち寄せる国である。常世の国(海の彼方にある理想郷)からの波が帰る国である。素晴らしい国なので、私はここにいたい」

この言葉を受け、倭姫命は五十鈴川の川上(現在の内宮の場所)に社殿を建てたのが伊勢神宮(内宮)の始まりです。

一方、外宮がご鎮座されたのはそれから約500年後、第21代 雄略(ゆうりゃく)天皇の時代。

天照大御神の「食事」を司る神として、丹波の国から豊受大御神(とようけのおおみかみ)を現在の地にお迎えしてお祀りされました。

「なるほど・・・」

2000年もの昔、一人の女性が神様のために一歩一歩歩いて最高の地を見つけ、それが今もなお変わらずに守り続けられている。

そう思うと、伊勢神宮へ参拝したときのあの神聖な空気感や、先人たちが繋いできてくれた歴史の重みに、改めて深い感動と感謝の念が湧いてきます。

壮大な歴史のロマンに思いを馳せながら、今日も目の前の感謝・感謝の歩みを進めていきたいです。

写真:伊勢神宮 内宮

2026_06/14

伊勢神宮のお木曳(おきひき)「〜550年以上続く伝統の綱を引く!」

伊勢神宮の式年遷宮。

20年に一度、社殿を新たに造営し、装束、神宝をはじめ、全てを新しくして、大御神に新宮へお遷りいただく神宮最大のお祭り。

次の式年遷宮(第63回)は2033年ですが、8年前(昨年)の山口祭から始まっています。

山口祭とは、神聖な木を切り出す特別な山で、用材を切り始める前に、その入り口(山口)の神様に対して、伐採や運搬の安全を祈る重要な儀式のこと。

そして遷宮7年前となる今年、執り行われたのが「お木曳行事(おきひき)」です。

お木曳とは、新しいお社を造るための巨大な御用材(檜の大木)を神域へと運び入れる、550年以上も続く尊い奉祝行事。

昨日、このお木曳行事に参加させていただくという大変有難い機会に恵まれました。

本来は神領民(伊勢市民)のための行事ですが、第60回の式年遷宮から始まった全国崇敬者に「特別神領民」として参加し、綱を曳かせていただくことができました。

お木曳前には二見興玉神社と内宮に正式参拝。

樹齢100年ものの大木が載せられた、美しく飾られた奉曳車(ほうえいしゃ)からは、なんと200mもの長い綱が2本も伸びています。

その綱を、全国から集まった約650名の大勢の参加者と一緒に握り締め、「エンヤ、エンヤ」という掛け声とともに力強く引かせていただきました。

空に響き渡る伝統の「木遣り(きやり)歌」。

「エンヤ」の掛け声のもと、老若男女が立場を超え、ただ一つの目的のために心を一つにして大木を動かしていく・・・。

終了後には外宮に正式参拝。

何百年もの間、伊勢の人々は「大切なものを次の世代へ守り伝える」という誇りと共に、思いのバトンを繋いできたのだと、肌で実感させていただきました。

素晴らしいご縁と、すべての出逢いに心から感謝・感謝です。

2026_06/01

毎朝の習慣と、臨済宗妙心寺派の「お線香1本」に込められた意味!

毎朝、仏壇にお茶を供え、お線香を焚いて手を合わせることが私の日課となっています。

ふと、「自分の宗派(臨済宗妙心寺派)では、基本的にお線香は何本焚くのが正しいのだろう?」と気になり、調べてみました。

結論から言うと、臨済宗の基本は「1本」だそうです。

香炉の真ん中に、折らずにまっすぐ立てるのが作法だそうです。

禅宗において、1本のお線香には「一本の木のようにまっすぐ生きる」「心を一つに集中させて仏様に向き合う」という意味が込められているとのこと。

「なるほど・・・!」

家庭にある仏壇の場合は、「雑念を払って、真っ直ぐにご先祖さまたちと向き合う」ということになるのでしょうね。

何本焚くかという形以上に、毎朝の「感謝の心」が一番大切ですが、作法の意味を知ると、いつもの朝の時間がさらに深く、心地よいものに感じられます。

画像:Ai生成

2026_05/20

「仏教、なぜお線香を焚くの?」

毎朝、お仏壇にお参りしています。

当たり前のように、お線香を焚いて手を合わせていましたが、「一体どのような理由があるのだろう?」とふと気になり、調べてみました。

仏教では亡くなられた方は食事の代わりに「良い香り」を召し上がると言われており、これを「香食(こうじき)」と呼ぶ。

つまり、お線香を焚くことは、ご先祖様へ温かいご飯をお供えするのと同じ、最上のおもてなしになる。

また、ゆらゆらと立ち上る煙は「あの世とこの世をつなぐ架け橋」となる。

私たちが心の中で語りかける感謝の言葉や近況報告は、この煙に乗って真っ直ぐご先祖様へと届いていく。

さらに、その香りは私たち自身の心や空間を清めてくれる効果もあり、 お線香の香りを嗅ぐとホッと心が落ち着くのは、自分自身のお清めができている証拠かもしれません。

「なるほどね・・・!」

何気ない日々の習慣も、こうして深い意味を知ると、ご先祖様との心の会話がより愛おしく、大切な時間に感じられます。

画像:Ai生成

2026_04/26

「武士は、なぜ改名していったのでしょうか?」

靖国神社にそびえ立つ、大村益次郎の銅像。

この像は、靖国神社の前身である「東京招魂社」の創建に尽力した功績を讃えて設置されているそうです。

大村益次郎の「旧姓は『村田』、幼名は『宗太郎』」。

私と同じ名字だということに、勝手ながら親近感を覚えています。

「昔の武士はなぜ頻繁に名前を変えたのでしょうか?」

疑問に思い、調べてみました。

大きな理由は「元服」にあります。大人になる通過儀礼として幼名を捨て、成人としての名を授かる。

また、出世に伴い主君から名前の一文字を授かる「偏諱(へんき)」という文化もあった。

これは単なる改名ではなく、 主君への忠誠を誓い、組織における重責を背負うという「決意の表れ」。

役職が変われば、見るべき世界が変わる。

武士にとって名前の変化は、まさに「成長と責任の証」だった。

「なるほどねぇ~!」

現代の私たちも名前こそ変わりませんが、日々の成長とともに、心の持ちようや視座を常にアップデートしていきたいものです。

2026_04/24

「私の毎朝のルーティン!」

今日も元気に目が覚めました!

朝一番に気持ちよく目覚めることができること。

これが私の何よりのエネルギー源。

毎日3時起床が目標です。

日々、どのようなルーティンで過ごしているか、少しだけご紹介。

「3:00 起床」
まずは台所周りの整理から。

「バスタイム」
お風呂でシャンプー。
実はこれ、睡眠時に装着している、シーパップ(CPAP)」のベルト跡を直すためなんです(笑)。

「感謝の時間」
仏壇用のお茶とコーヒーを淹れ、神棚と仏壇へ手を合わせます。
無事に目が覚めたことに感謝し、今日一日の無事を祈る。
この静かな時間が、一日の心の土台になります。

「PCワーク」
4時過ぎからはPCに向かい、SNS投稿やメールチェックなどの事務作業を。

「運動」
5時20分頃からは、静岡護国神社までの往復6kmをラン&ウォーキング。
心身を整える大切な運動です

「朝食準備」
出勤 6時30分に朝食の準備をして、7時20分頃には出勤。

「就寝」
夜は9時前に就寝。

こうして書き出してみると、朝の数時間が、その日一日の質を決めているのだと改めて感じます。

特別なことではありませんが、毎日コツコツと積み重ねること。

感謝を忘れず、健康を維持すること。

これからも、このルーティンを大切に、一日一日を丁寧に積み重ねていきたいと思います。

 

2026_04/14

日課のラン&ウォーキングと「護国神社」への想い。平和な日常に感謝して。

毎日の健康維持と心のリフレッシュを兼ねて、自宅から静岡県護国神社までの往復6キロを「ラン&ウォーキング」するのが日課です。

馴染み深い場所ですが、ふと「護国神社」という名前の由来が気になり、改めて調べてみました。

そこには「国を守る」という言葉通り、尊い命を捧げた方々の御霊を祀り、今の平和な日本を祈り続けるという深い歴史が刻まれていました。

明治以降の招魂社から始まり、全国の護国神社として受け継がれてきた「平和への願い」。

私が日々駆け抜けているこの道は、先人たちの犠牲の上に成り立つ、かけがえのない平和な日常なのだと改めて感じます。

これからも、歴史の息吹を感じながら、一歩ずつ健やかに歩みを進めていきたいと思います。