社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

歴史

2021_10/14

「方便」ってどんな意味?

毎朝、動画サイトを視聴しながらパソコンに向かっています。

ある人の「嘘も方便」というタイトルの話しでしたが「嘘も方便」と聞くとなんとなく意味がわかりますが、「方便って何?」とあらためて聞かれると答えられない。

「方便とは」・・・・・
1、仏語。人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段。
2 、ある目的を達するための便宜上の手段。
3 、都合のよいさま。
・・・・・・・・・・・

なるほど・・・・。

ある日の空模様

2020_07/05

今さらながら歴史がおもしろい!

毎日曜日の6時に放送されるNHK・BSプレミアム「大河ドラマアンコール」を食入る様にみています。

前作は「徳川3代」、本年4月からは「太平記」で100年続いた鎌倉幕府に兵を挙げて室町幕府を開いた足利尊氏の生涯を描くドラマ。

内容が面白く、なんとかの乱とか武士の名前が出てくると、ネット検索して調べると深堀ができる。

鎌倉幕府を創始したのが源頼朝で2代目以降は北條氏が執権をつかさどったとか。誰でもその名前を知っている楠木正成が討幕に一役買ったとか、歴史の事が全く頭に入っていない私にとって、新鮮な事ばかりです(笑)

NHK・BSプレミアム 大河ドラマアンコール「太平記」

2019_07/30

巡洋戦艦「金剛」はイギリス製

昨日投稿した記事、アルキメデスの大戦は1933年に次なる旗艦となる新型戦艦建造計画をめぐり超大型戦艦にするのか空母にするのかの海軍上層部の対決の映画。
 
記事を書くに当たってネットで調べて分かったことですが、映画に登場する「金剛」がイギリス製だったということを初めて知りました。
 
当時の日本の技術ではイギリス以上の能力の船を作ることができなったため発注。
 
1911年1月機工、竣工1913年8月
 
以下、ウィッキペディアより・・・・
金剛は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦。イギリスに発注された最後の主力艦である。2度の改装後は高速戦艦として、太平洋戦争でも活躍した。なお金剛は、日本海軍が太平洋戦争で使用した唯一の外国製日本戦艦でもあった・・・・
 
ちなみに戦艦大和は1937年11月4日に機工し、就役が1941年12月16日ですが、旗艦として動き出した時にはもう空母の時代になっていたのでしょうね。

巡洋戦艦→戦艦 「金剛」

2019_05/04

駿河徳川家が存在していたことを初めて知りました!

水戸黄門が大好きでテレビの再放送を楽しみにしています。

黄門のことをネットで調べていたら、駿河徳川家が存在していたことを初めて知りました。

・・・・・・・・・・・・

二代将軍・秀忠の三男である忠長(家康孫)が1624年に駿河国(静岡県中部、東部地区)、遠江国(静岡県西部地区)の一部、甲府藩の合計55万石を拝領し、駿河徳川家を創設した。

しかし、不行跡を理由に父である秀忠より蟄居を命ぜられた後、兄である3代将軍・家光によって改易され、高崎に幽閉されたあとに幕命により自刃したことにより駿河徳川家は一代で断絶。

尾張徳川家(家康九男)、紀州徳川家(家康十男)、駿河徳川家(家康孫)で御三家と言われた時代もあった。

・・・・・・・・・・・・

ちなみに、水戸徳川家(家康十一男)は駿河徳川家が断絶した後の創設なんだそうです。

この記事を投稿する前に、ネットで調べた歴史情報がおもしろく、あっという間に2時間半も経過してしまいました。

若い時から歴史に興味を持っていたらと思うばかりですが、今さらだけど調べれば調べるほどおもしろいです。

しかし、年齢のせいも有りますがインプットされたと思っても直ぐに細かいところを忘れてしまうのが問題かなぁ〜・・・(汗)

徳川忠長(2代将軍秀忠の三男・家康の孫)

2019_05/02

三種の神器の一つ「草薙の剣」

 
今回の、天皇陛下「退位」と「即位」の儀式で登場した三種の神器。
 
その中の一つである「剣」
 
報道等では「剣」という言い方をしていたように思いますが、調べると「草那藝之大刀」(くさなごのたち)の名称が「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)になったと。
 
ちなみに静岡市には「日本平」「草薙」「焼津市」という地名があります。
 
日本平(にほんだいら)の地名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐のため東組国に向かう途中、敵の包囲軍に火を放たれ危機に陥った時、倭姫命(やまとひめのみこと)から預かった宝剣で周囲の草を薙ぎ払い活路を見出した。
 
それによりその剣は草薙、その地は「ヤキツ」(焼津)と称さるようになった。
 
その後、有度山(うどさん)の山頂に上り周囲を見渡したということで「日本平」と名付けられた。
 
このときに用いられた宝剣を「草薙の剣」(くさなぎつるぎ)と言い、第12代・景行天皇は息子である日本武尊の勲功を称え、草薙神社(草薙)に日本武尊を祀る社を建立し、神体として草薙剣を奉納した。その後、熱田神宮に奉祀されている。
 
三種の神器の一つである「草薙剣」が我が静岡市や隣の焼津市に関係しているなんて嬉しいじゃぁないですか。
 
歴史って調べれば調べるほど面白いですね〜!
 
追伸、昨日体長を崩して38.5度の熱が出ましたが今は平熱ですが、お腹の調子がおかしく新幹線のぞみ状態。
数多くの皆さまからご心配をしていただき、ありがとうございます。
草薙神社

2019_04/29

駿河の国を230年も統治していた今川家!

駿河の国を230年間の長きに渡り統治していた今川家!
 
「7世紀に朝廷が現在の静岡県東部と中部の領域を合併して駿河国となる」
 
そんな昔から駿河国となったことにビックリ!
 
「駿河の国を1338年から230年もの長きに渡り君臨していたのは、室町幕府将軍であった足利家の一門の今川家」
 
静岡市民は徳川家康が幼少期に今川家の人質として駿府で過ごし、晩年に駿府で過ごしたことを(10年間)知らない人はいませんが、今川家が230年もの長きに渡り統治していたことはあまり知られていないのではないでしょうか?
 
ネットによると、「今川氏は京の都を模して駿府の街造りを行い、現在でも地名や町名等に京都と同じ地名や町名が残る。また、荒廃した京の都を逃れた多数の公家や文化人が駿府に居を移し、東国の京、或いは東国の都と呼ばれ、戦国三大文化の一つ、今川文化が栄えた」
 
なるほどねぇ!!

地元の歴史を調べれば調べるほど、おもしろくなってきます。

皆さまの地元でも調べれば色んな発見があるのではないでしょうか?

下記の赤色部が駿河国、うす緑が東海道

駿河国

2019_04/28

東京の銀座は静岡市葵区の「両替町」が由来!

銀座とは、江戸幕府により設立された銀貨幣を作る役所のこと。

両替町には金銀を売買する両替屋がたくさんあった。

銀座は1601年に京都伏見に創設後、1606年に駿府(静岡市)両替町に移設後に1612年に江戸に移転し、町名が新両替町となる。

駿府でも銀貨を作っている場所ということで、両替町と銀座と2つの名前で呼ばれていた。

江戸でも新両替町と銀座と2つの名前で呼ばれていたが銀座のほうがわかりやすいので通称名が町名になったそうです。

なるほどねぇ~!

満73歳で亡くなった家康は幼年期、中年期、晩年期と合計25年前後も駿府にいたんですよ!

東京都銀座地区

ウェブ商談
申し込み
ウェブ商談申し込み