毎日曜日の6時に放送されるNHK・BSプレミアム「大河ドラマアンコール」を食入る様にみています。
前作は「徳川3代」、本年4月からは「太平記」で100年続いた鎌倉幕府に兵を挙げて室町幕府を開いた足利尊氏の生涯を描くドラマ。
内容が面白く、なんとかの乱とか武士の名前が出てくると、ネット検索して調べると深堀ができる。
鎌倉幕府を創始したのが源頼朝で2代目以降は北條氏が執権をつかさどったとか。誰でもその名前を知っている楠木正成が討幕に一役買ったとか、歴史の事が全く頭に入っていない私にとって、新鮮な事ばかりです(笑)
NHK・BSプレミアム 大河ドラマアンコール「太平記」
2020_07/05
今さらながら歴史がおもしろい!
2019_07/30
巡洋戦艦「金剛」はイギリス製
巡洋戦艦→戦艦 「金剛」
2019_05/04
駿河徳川家が存在していたことを初めて知りました!
水戸黄門が大好きでテレビの再放送を楽しみにしています。
黄門のことをネットで調べていたら、駿河徳川家が存在していたことを初めて知りました。
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二代将軍・秀忠の三男である忠長(家康孫)が1624年に駿河国(静岡県中部、東部地区)、遠江国(静岡県西部地区)の一部、甲府藩の合計55万石を拝領し、駿河徳川家を創設した。
しかし、不行跡を理由に父である秀忠より蟄居を命ぜられた後、兄である3代将軍・家光によって改易され、高崎に幽閉されたあとに幕命により自刃したことにより駿河徳川家は一代で断絶。
尾張徳川家(家康九男)、紀州徳川家(家康十男)、駿河徳川家(家康孫)で御三家と言われた時代もあった。
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ちなみに、水戸徳川家(家康十一男)は駿河徳川家が断絶した後の創設なんだそうです。
この記事を投稿する前に、ネットで調べた歴史情報がおもしろく、あっという間に2時間半も経過してしまいました。
若い時から歴史に興味を持っていたらと思うばかりですが、今さらだけど調べれば調べるほどおもしろいです。
しかし、年齢のせいも有りますがインプットされたと思っても直ぐに細かいところを忘れてしまうのが問題かなぁ〜・・・(汗)
徳川忠長(2代将軍秀忠の三男・家康の孫)
2019_05/02
三種の神器の一つ「草薙の剣」

2019_04/29
駿河の国を230年も統治していた今川家!
地元の歴史を調べれば調べるほど、おもしろくなってきます。
皆さまの地元でも調べれば色んな発見があるのではないでしょうか?
下記の赤色部が駿河国、うす緑が東海道
駿河国
2019_04/28
東京の銀座は静岡市葵区の「両替町」が由来!
銀座とは、江戸幕府により設立された銀貨幣を作る役所のこと。
両替町には金銀を売買する両替屋がたくさんあった。
銀座は1601年に京都伏見に創設後、1606年に駿府(静岡市)両替町に移設後に1612年に江戸に移転し、町名が新両替町となる。
駿府でも銀貨を作っている場所ということで、両替町と銀座と2つの名前で呼ばれていた。
江戸でも新両替町と銀座と2つの名前で呼ばれていたが銀座のほうがわかりやすいので通称名が町名になったそうです。
なるほどねぇ~!
満73歳で亡くなった家康は幼年期、中年期、晩年期と合計25年前後も駿府にいたんですよ!
東京都銀座地区
2019_03/27
西郷隆盛と山岡鉄舟の会見の地
昨日静岡市ペガサート(静岡駅から徒歩10分)で本年度最終の会社説明会を開催。
実はこの地域は歴史を変えた場所でもあるんです。
明治維新の際に江戸で西郷隆盛と勝海舟の話し合いによって無血開城したことは誰でも知っていることですが、
話し合いの前に勝海舟の命を帯びた山岡鉄舟が西郷隆盛と会見した場所が、ここ静岡市だと言うことはあまり知られていません。
静岡市指定文化財(史跡)「西郷・山岡会見の地」
慶応4年(1868年)2月12日、慶喜が江戸城を出て上野・寛永寺で謹慎した直後に追討軍が江戸に到着した。
官軍の江戸総攻撃は目前に迫り、一部では慶喜の処刑と大江戸大決戦がささやかれた。そんな重苦しい空気のなかで、勝らは大きな賭けに出た。
勝は山岡鉄太郎(鉄舟)を使者として官軍参謀の西郷隆盛のいる静岡市に派遣し、江戸城無血開城と慶喜の助命嘆願の予備交渉に当たらせた。
山岡は江戸から静岡まで官軍兵士の居並ぶなか、「朝敵徳川慶喜の家来、山岡鉄太郎、大総督府に参る」とさけびつつ、早馬を走らせた。
東海道を疾走する山岡の早馬の図は有名な錦絵となっている。
山岡は西郷の宿舎だった伝馬町の松崎屋源丘衛方を訪ね、3月9日、西郷・山岡の会見が実現した。
両者は一面識もなかったが、互いに胸襟を開いて折衝した。
その結果を、西郷から駿府城代屋敷を御座所としして静岡に滞在していた熾仁親王に伺いを立てると、宮から七ヶ条の内輪書を得た。
最終的には14日、江戸での西郷と勝の会見で決着するのだが、実質的な交渉は静岡会見で行われ、江戸の会見はセレモニーにすぎない。
歴史の転換期で静岡は重要な舞台となっていたのです(文責・・黒澤 脩)
写真の赤色が会見の地で黄色が会社説明会を開催した静岡ペガサート
静岡市指定文化財(史跡)「西郷・山岡会見の地」