昨日の坂本龍馬繋がりですが、高知県(土佐藩)出身の偉人を3つのAiに聞いてみました。
3つ揃うのかなと思ったのですが、3人だけが揃いました。
1、坂本龍馬(さかもと りょうま)
幕末の志士。薩長同盟の成立や大政奉還に尽力し、日本の近代化に大きな影響を与えた。
2、中岡慎太郎(なかおか しんたろう)
幕末の志士。陸援隊を組織し、坂本龍馬とともに維新運動を推進した。
3、板垣退助(いたがき たいすけ)
明治時代の政治家。自由民権運動の指導者で、「自由は死せず」の言葉で知られる。
以下は2つのAiがリストアップした偉人。
4、岩崎弥太郎(いわさき やたろう)
三菱財閥の創始者。日本の近代産業発展に大きく貢献した実業家。
5、中浜万次郎(なかはま まんじろう/ジョン万次郎)
漂流後アメリカで学び、帰国後は通訳や教育者として活躍。日米交流の先駆者。
6、武市半平太(たけち はんぺいた)
土佐勤王党のリーダー。土佐藩内での改革と尊皇活動を展開
7、後藤象二郎(ごとう しょうじろう)
明治政府の要職を歴任し、版籍奉還や廃藩置県にも関与
8、牧野富太郎(まきの とみたろう)
植物学者。「日本植物学の父」と称され、多くの新種を発見・命名した。
そして、もう一人。日本人だったら知らない人はいません。
9、やなせたかし
「あんぱんまん」の作者。戦後の児童文化に大きな影響を与えた。
写真:高知県HPより 坂本龍馬が愛したといわれる高知市桂浜
高知市 桂浜
2025_06/17
高知県(土佐藩)出身の偉人!
2025_06/16
坂本龍馬は脱藩したにも関わらず、なぜ処罰されなかったのでしょうか?
Aiに脱藩のことを尋ねてみた。
「武士が自分の仕える藩を無断で抜け出し、藩籍を離れること」
当時、藩の許可なしに出国(江戸などへの移動)や他藩への仕官は禁止されており、今でいう「脱走兵」「亡命」「出奔(しゅっぽん)」などに近く、処罰例としては死罪、切腹、家族連座、士籍剥奪(武士の身分を失う)などがあったという。
「坂本龍馬が土佐を脱藩したことはあまりに有名ですが、なぜ処罰されなかったのか?」という疑問が頭をよぎりました。
Aiに質問したところ「なるほど・・・」という回答で納得。
・龍馬は1862年に脱藩(土佐藩から無断離脱)
・同年、長崎・江戸・京都で活動開始し、「海援隊」結成
・土佐藩内の改革派(後藤象二郎)が彼を高く評価し、事実上の脱藩赦免を通達
・最終的には「土佐藩士」として正式に復籍もしている(1867年)
坂本龍馬が処罰されなかった主な理由
① 政治的に重要な人材となったため
脱藩後、倒幕・開国のために奔走し、薩長同盟の仲介など国政レベルの活動を展開。幕末の動乱期において、「国家のために働く志士」として見逃される空気があった。
② 土佐藩が後に事実上「許した」ため
龍馬は最初は脱藩者として追われる立場でしたが、後に土佐藩内の開明派(後藤象二郎ら)が彼の存在価値を認め、事実上の赦免・支援を行うようになった。
③ 時代の変化(幕末の混乱)
幕末は「倒幕」「尊王」「開国」「佐幕」などが入り乱れた時代。旧来の藩制度やルールが揺らいでおり、脱藩そのものの意味が薄れていった時期でもある。
④ 土佐藩にとってもメリットがあった
龍馬の働きが、土佐藩の名誉・影響力を高めた(例:薩長同盟や大政奉還構想など)。そのため、あえて処罰せず、むしろ協力関係を築いた。
2021_10/14
「方便」ってどんな意味?
毎朝、動画サイトを視聴しながらパソコンに向かっています。
ある人の「嘘も方便」というタイトルの話しでしたが「嘘も方便」と聞くとなんとなく意味がわかりますが、「方便って何?」とあらためて聞かれると答えられない。
「方便とは」・・・・・
1、仏語。人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段。
2 、ある目的を達するための便宜上の手段。
3 、都合のよいさま。
・・・・・・・・・・・
なるほど・・・・。
ある日の空模様
2020_07/05
今さらながら歴史がおもしろい!
毎日曜日の6時に放送されるNHK・BSプレミアム「大河ドラマアンコール」を食入る様にみています。
前作は「徳川3代」、本年4月からは「太平記」で100年続いた鎌倉幕府に兵を挙げて室町幕府を開いた足利尊氏の生涯を描くドラマ。
内容が面白く、なんとかの乱とか武士の名前が出てくると、ネット検索して調べると深堀ができる。
鎌倉幕府を創始したのが源頼朝で2代目以降は北條氏が執権をつかさどったとか。誰でもその名前を知っている楠木正成が討幕に一役買ったとか、歴史の事が全く頭に入っていない私にとって、新鮮な事ばかりです(笑)
NHK・BSプレミアム 大河ドラマアンコール「太平記」
2019_07/30
巡洋戦艦「金剛」はイギリス製
巡洋戦艦→戦艦 「金剛」
2019_05/04
駿河徳川家が存在していたことを初めて知りました!
水戸黄門が大好きでテレビの再放送を楽しみにしています。
黄門のことをネットで調べていたら、駿河徳川家が存在していたことを初めて知りました。
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二代将軍・秀忠の三男である忠長(家康孫)が1624年に駿河国(静岡県中部、東部地区)、遠江国(静岡県西部地区)の一部、甲府藩の合計55万石を拝領し、駿河徳川家を創設した。
しかし、不行跡を理由に父である秀忠より蟄居を命ぜられた後、兄である3代将軍・家光によって改易され、高崎に幽閉されたあとに幕命により自刃したことにより駿河徳川家は一代で断絶。
尾張徳川家(家康九男)、紀州徳川家(家康十男)、駿河徳川家(家康孫)で御三家と言われた時代もあった。
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ちなみに、水戸徳川家(家康十一男)は駿河徳川家が断絶した後の創設なんだそうです。
この記事を投稿する前に、ネットで調べた歴史情報がおもしろく、あっという間に2時間半も経過してしまいました。
若い時から歴史に興味を持っていたらと思うばかりですが、今さらだけど調べれば調べるほどおもしろいです。
しかし、年齢のせいも有りますがインプットされたと思っても直ぐに細かいところを忘れてしまうのが問題かなぁ〜・・・(汗)
徳川忠長(2代将軍秀忠の三男・家康の孫)
2019_05/02
三種の神器の一つ「草薙の剣」
