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日々の気づきを投稿中

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2026.04.19

「命の決断と歴史の教訓」門田隆将氏講演会を終えて

昨日、村田ボーリング技研主催の社員勉強会を開催いたしました。 講師にお招きしたのは、ノンフィクション作家の門田隆将先生。

通常、1時間半で1本の内容を伺うのが一般的なところ、昨日は3時間で2本の濃密なテーマを拝聴するという、非常に贅沢な学びの時間となりました。

第一部は、津波により、全電源喪失になった福島第一原発事故。

極限状態の中で、圧力容器の爆発を食い止めようと命がけで突入した東京電力の職員。

門田先生が吉田所長や職員の方々に長時間インタビューを重ねたからこそ知り得た「リアルの話し」に、会場全体が息を呑み、引き込まれていきました。

第二部は、硫黄島の戦いにおける市丸海軍司令官物語。

死の直前にルーズベルト大統領宛てにしたためた手紙の真実。

その想いと、それに関わった関係者に関する話に、引き込まれました。

数多くの気づき、学び、そして日本人としてどう生きるべきかという問い。

参加者の皆さんの心にも、熱いものがこみ上げていたことと思います。

改めて、ご来場いただいたすべての皆様に心より感謝申し上げます。

次回の勉強会は、来年3月27日(土)に元皇室の竹田恒泰さんをお迎えいたします。 !

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2026.04.18

門田隆将氏に学ぶ、「命と誇りの物語」

「門田隆将チャンネル」

ほぼ毎日発信しており、毎回15万~30万回視聴されている人気サイトを、毎回視聴しています。

 ジャーナリストとして、そしてノンフィクション作家として、国内のオールドメディアでは報道されない事実に深く切り込むその発信は、毎回多くの方々の心を捉えています。

今日、弊社主催の社員勉強会にて、門田隆将氏をお迎えし、ご自身の著書から二つのテーマについてお話しいただきます。

第一部:『死の淵を見た男』

福島第一原発。津波により、全電源喪失し、圧力容器がいつ爆発してもおかしくない緊迫した状況下で命がけで戦った人々の記録。

「私はあの時、自分と一緒に死んでくれる人間の顔を思い出していた」という吉田所長の言葉。

長時間に及ぶインタビューから見えてくる、極限状態の真実を伺います。

第二部:『大統領に告ぐ』

硫黄島で戦った海軍司令官・市丸少将が、ルーズベルト大統領へ宛てた手紙。

昭和20年、戦いを終えるにあたり、市丸少将は決然と米国大統領ルーズベルトに手紙を書き、ハワイ出身の兵曹に英訳させ、英文と和文を腹に巻き、死して届けた参謀がいた。

涙なくしては語れない物語です。

今回の講演は、これから日本を背負っていく若い世代の方々にこそ、ぜひ聞いていただきたい内容です。

社員向けの勉強会ではありますが、毎回オープン形式で開催しております。

お席に余裕がございますので、ご関心のある方はぜひお越しください。

会場: 静岡グランシップ
日時: 本日 13:00~16:30
費用: 大人 2,000円(大学生以下無料)

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2026.04.17

「永続する企業の根源。『道経一体』と沢根スプリング様の経営哲学!」

昨日、「日本道経会静岡」主催の総会と記念講演会を開催いたしました。

「道経」とは、法学博士・廣池千九郎氏が提唱した「道徳と経済は一体である」という「道経一体思想」のこと。

企業の利益だけでなく、顧客や取引先、関わるすべての人に公平な利益をもたらすことこそが、企業の永続に繋がるという考え方です。

一言で言えば、私がいつも大切にしている「人を大切にする経営」の教えそのもの。

記念講演会では、第4回「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞で中小企業庁長官賞を受賞された、沢根スプリング株式会社の沢根会長にお話しを伺いました。

経営のあり方や、企業が進むべき方向性、そして非常に重要な事業承継のお話まで、盛りだくさんの内容に、参加者一同、深い学びをいただきました。

講演終了後の懇親会では、沢根会長を囲んで、さらに深いお話まで伺うことができ、大変充実した一日となりました。

この学びを、また今日からの経営に活かしていきたいと思います。

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2026.04.16

15年の時を経て。全国の自動販売機に広がる「ありがとうシール」

昨日、大手新聞社の方から一本の電話が入りました。

「村田さんが15年前に投稿された『ありがとうシール』についてお聞きしたいことがあります」

「どのようなことでしょうか?」

最近、全国の自動販売機のコイン投入口やカード読み取り部分に、写真の「ありがとうシール」が貼られているケースが相次いで報告されているのだそうです。

記者の方いわく、「全国的にそのような現象が見られるため、調べている」とのことでした。

私はこれまで気にしたことがなかったので、実際に貼られているところを見たことはありません。

もしかすると、みなさんの地域の自動販売機にも、このシールが貼られているかもです。

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2026.04.15

駿府の発展と家康公。私たちが受け継ぐ「ものづくり」のDNA

徳川家康公が晩年(1607年〜1616年)を駿府(現在の静岡市)で過ごしたことは、一般的に知られていると思います。

この地にとって単なる「隠居地」以上の大きな意味を持ち、都市としての骨格と文化の基礎を築く決定的な要因となったということは、静岡市で生まれ育った人たちは、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

私が住む市ということもあり調べてみました。

家康公が駿府で展開した「大御所政治」により、駿河は次のような形で発展した。

1、「駿府城」を中心とした巨大な城下町の整備

家康公は、駿府城を当時の最新技術を駆使して大改修すると共に、以下の大規模な都市計画が実行された。

駿府城を中心に、整然とした碁盤の目の街路が整備された結果、現代の静岡市の中心街にも、当時の町割りの名残が色濃く残った。

駿府の最大の弱点であった安倍川の氾濫を防ぐため、大規模な堤防工事(家康堤)が行われたことで、氾濫原であった場所が安心して住める市街地となり、経済活動の安定に直結した。

2、全国から職人と文化の流入

「大御所」となった家康公のもとには、全国から腕利きの職人、商人、文化人が集結した。

駿府城の改修や城下町の建設のために、日本全国から優秀な工匠(建築家、石工、大工など)が呼び寄せられた。

彼らが定住したことで、静岡の地には高度なモノづくりの基盤(現在の静岡が誇る木工、漆器、模型、ひな人形などのルーツ)が形成された。

また、茶の湯や能、学問などの上質な文化が持ち込まれ、駿府は江戸に次ぐ「東の都」のような華やぎを見せた。

3、経済と流通の要所としての発展

駿府は東海道の重要な拠点として、参勤交代や物流の要衝としてさらに発展した。

江戸(将軍・徳川秀忠)と駿府(大御所・徳川家康)の「二元政治」が行われたため、全国各地からの情報、献上品、富が駿府に集まり、極めて経済力の高い都市となった。

4、「静岡」らしさの形成

家康公が亡くなった後、駿府は徳川家代々の尊崇を受け、家康公を祀る「久能山東照宮」をはじめとする神聖な場所として守られた。

この「家康公と縁の深い街」という誇りが、明治時代以降の静岡の発展や、現代の歴史観光の核となることに繋がった。

「なるほどねぇ!」

先人が残してくれたこの豊かな文化と技の伝統。

歴史ある地で仕事ができる喜びを噛み締めながら、私たちも次世代へ何かを繋いでいけるよう、今日という一日を大切に積み重ねていきたいと思います。

写真:静岡駅北口にある徳川家康像

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2026.04.14

日課のラン&ウォーキングと「護国神社」への想い。平和な日常に感謝して。

毎日の健康維持と心のリフレッシュを兼ねて、自宅から静岡県護国神社までの往復6キロを「ラン&ウォーキング」するのが日課です。

馴染み深い場所ですが、ふと「護国神社」という名前の由来が気になり、改めて調べてみました。

そこには「国を守る」という言葉通り、尊い命を捧げた方々の御霊を祀り、今の平和な日本を祈り続けるという深い歴史が刻まれていました。

明治以降の招魂社から始まり、全国の護国神社として受け継がれてきた「平和への願い」。

私が日々駆け抜けているこの道は、先人たちの犠牲の上に成り立つ、かけがえのない平和な日常なのだと改めて感じます。

これからも、歴史の息吹を感じながら、一歩ずつ健やかに歩みを進めていきたいと思います。

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2026.04.13

「ありがとう」「感謝します」という言葉が持つ、静かなる力

「ツキを呼ぶ魔法の言葉」で知られる五日市剛さん。

今では多くの方を導く存在となられましたが、私にとっては少し懐かしく、そして特別な思い出のある方です。

五日市さんが勤めていた会社から材料を仕入れていた時期があり、当時技術担当だった彼とは、仕事の合間に気軽に言葉を交わす仲でした。

サラリーマン当時の彼から聞いた言葉は、何十年経った今も私の心の中に深く刻まれています。

「ありがとう」「感謝します」と思う人には、幸せがもたらされる。

この言葉に出会った当初は、ただの綺麗な言葉に聞こえたかもしれません。

しかし、経営者として長く現場に立ち、様々な「あり方」を見てきた今、その意味の重さが痛いほど分かります。

成功を追い求めることよりも、目の前の人に感謝され、自分自身も感謝を忘れないこと。

これこそが、人生を豊かにするための最もシンプルで、かつ最も力強い「魔法」なのだと確信しています
自分が発する言葉が、誰かの幸せのきっかけになることを願い、今日からまた一言ずつ、感謝の種を蒔いていきたいと思います。

写真」22年前の写真

 

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