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溶射屋
日々の気づきを投稿中

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2006.05.07

第62回 神宮式年遷宮 御用材奉曳 お木曳き

お木曳き.JPG

今日、伊勢神宮の「」に参加して来た。

今回は財団法人モラロジー研究所1400人の一人として1台の車を曳いた。

「せいや、せいや」と掛け声を上げ持った綱を右、左と練りながら引っ張る。

20年ごとに開催される行事に参加することが出来てとても感動することができた。

13年前の平成5年8月には第61回式年遷宮「お白石持ち行事」(完成した正殿が建つ御敷地に敷く白石を旧神領民が奉献する行事。遷宮の2ヶ月前に行われる)にも参加したがその時は石を曳くことと正殿敷地内に入り正殿のすぐ横に白石を置くことができて、とても感動したことを覚えている。

あれから13年たって昨年から第62回式年遷宮行事が開催され、8年間にわたって30に及行事があると言う。

20年先は勿論参加できる年齢だけど40年後は???(笑)

「式年遷宮とお木曳き行事」

式年遷宮とは、20年に一度新しい神殿を造り、御装束、御神宝を古式のままに調進して大神様にお宮遷りをいただく神宮最大のお祭りです。

第62回式年遷宮は、平成17年5月の山口際に始まり、8年にわたって30に及ぶ祭典、行事を経たのち、平成25年秋に遷御(せんぎょ)の儀を迎えます。

お木曳き行事は、式年遷宮のため長野、岐阜の御杣山(みそまやま)から伐りだされた檜の御用材を、地元伊勢の神領民が外宮、内宮それぞれにお納めする奉仕の行事で、国の無形民族文化財の指定を受けています。

 幸い、第60回(昭和48年)の式年遷宮より、神宮のご理解のもと、全国の崇敬者も「一日神領民」として参加させていただき、ご奉仕させていただけるようになりました。20年という歳月を区切りとし、わが国の歴史を重ねていく式年遷宮に、お木曳きという行為で直接参加できますことは、地元神領民をはじめ全国の「一日神領民」の喜びであり、誇りです。

(財団法人モラロジー研究所 お木曳き行事パンフレットより)

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2006.05.07

お木曳き

お木曳き.JPG

休憩中のショット!

ハチマキをしていない右側が私です。実は旅館に置き忘れてしまいました。

ほんとは若い人達の中に入ったほうが練り方も激しいので面白いのだが!!!(笑)

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2006.05.03

日の出

感動の日の出.JPG

いやー久振りの日の出の撮影!

5時過ぎに外を見たら朝焼けだったので思わず外に飛び出して撮影!

ムチャクチャ綺麗な朝焼け&朝陽だった。

今日生きていることに感謝!!

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2006.05.03

浜松祭り 凧揚げ合戦

浜松祭り 凧揚げ合戦.JPG

今日、浜松祭りの凧揚げ合戦会場に見学に行く。

ラッパや太鼓の音が心に響いてくる。どこかのホームページで見たが普段の顔と浜松祭りに参加している顔は全く違うらしい。どんなオヤジでもはっぴ姿で熱く凧揚げをしている姿カッコイイ!!

写真は6町の凧糸が絡んで糸きりをしている所、2町が肩車で糸を引っ張って威勢を挙げている。一歩間違うとケンカに発展するので迫力がある。

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2006.05.03

浜松祭り 合同練り

浜松祭り 合同練り.JPG

合同練りの一コマ!

各町が合同で道幅一杯に練る姿は壮観だ!

特に先頭を切って太鼓やラッパを吹きながら練っている姿は鳥肌が立く位に感動!歩き方がいいね、足を八の字にして少しずづ前にすすむ姿はかっこいい!

写真は小さい子供を練りに参加させているおじいちゃん?

子供がとても可愛かった!! みんなの顔もなごむ!

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2006.05.03

浜松祭り 御殿屋台引き回し

浜松祭り 御殿屋台引き回し.JPG

昼の凧揚げと打って変わり、お囃子隊の子どもたちを乗せた絢爛豪華な御殿屋台が夜の街を優雅に進んでいく。

大八車に凧の道具を積んだのが屋台の始まりだというが、今では各町が華麗な彫刻を施した御殿屋台の美しさを競い合う。徐々にラッパや「オイショ、オイショ」の掛け声と提灯片手に練り歩く人々の動きの早さを増していく。光、音、練の渦・・・、祭りは最高潮を迎える。(浜松まつり 公式ガイドブックより)

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2006.05.02

村田亀之助

村田亀之助.jpg

「村田亀之助」村田ボーリング技研の創業者

亀之助が1950年に村田ボーリング技研(株)の前進「駅南村田鉄工所」を設立。

設立後7年目でオートバイに事故で亡くなってから          50回忌を迎えた。(享年60歳)

僕が生まれる3週間前に初孫が産まれることを楽しみにしていたがオートバイ仲間と伊豆をツーリング中に転倒事故で亡くなる。    だから僕の祖父のことは全く知らない。

法事で久しぶりに会う叔父さんや叔母さんから祖父の話しを聞く。皆当時を懐かしみながら語っていた。

祖父はとてもひょうきんな性格だということと、手先が器用で「難しい仕事は亀之助さんに頼めば」と皆からも慕われていたらしい。

お客さんが軸にくっついて外れなくて困って祖父の所に持ってくる。祖父は叩きどころを心得ているのでハンマー一振り、あっと言う間にくっついていた物がとれて「たたき代」をもらったり、静岡県内で1級旋盤士第1号だったなど色々と聞いていて面白い!  

そんな事が伝統として「村田ボーリング技研」に息づいているかも知れない。

孫としてはやっぱり「おじいちゃん」に会って色んな事を聞きたかったな!

ちなみに次は「100回忌」、その時子供達は60代後半なのできっとやってくれることだろう

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