あんかけラーメンが大好き!
スーパーで生ラーメンを買っては「あんかけ」にするのですが、
料理し始めた頃と比べると確実に腕が上がってる(笑)
写真は、塩ラーメンをあんかけにしてみましたが、とってもおいしかったです。
「まんぞく~!💛」
あんかけラーメン
2025_01/30
あんかけラーメンが大好き!
スーパーで生ラーメンを買っては「あんかけ」にするのですが、
料理し始めた頃と比べると確実に腕が上がってる(笑)
写真は、塩ラーメンをあんかけにしてみましたが、とってもおいしかったです。
「まんぞく~!💛」
あんかけラーメン
2025_01/26
我が、静岡市は町中華がどんどん閉店してる。
新しく開店するお店もありますが、無くなる方が多いんじゃぁないかなぁ!
コロナで一気に加速したかもしれません。
既存の店主は大概が高齢化。
子供の頃から慣れ親しんでいる料理が食べれなくなるのは寂しいものです。
写真は、会社から10分程度のところにあった町中華の「あんかけラーメン」
気に入っていたのですが、数年前に突然閉店になってしまいました。
完食しているうちに、どんどん量が増えて、このような状態に。
もの凄い量にビックリです。(汗)
あんかけラーメン
2025_01/22
中華料理の時に使うれんげスプーン。
なぜ「れんげ」というのか気になっていました。
正式名称は「散蓮華(ちりれんげ)」というそうです。
主に、中国や東南アジアで一般的に使われる陶製スプーン。
名前の由来は、
さじの形が蓮の花から散った花びらの一片に似ていることから付けられた。
「なるほどねぇ・・・!」
また一つ学ぶことができました(笑)
みなさんご存知でしたか?
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2025_01/21
時代劇などで見かける江戸時代の移動そば屋。
どのようなシステムになっているのか気になっていたので、調べてみました。
冷たいそばなのかなと思っていましたが、主に暖かいそばだったらしいです。
それにしても、装備を充実すればするほど重量が増えたことは間違いないので、移動する際は相当な重労働だったんでしょうね。
・・・・・・・・・・
江戸でのそばの普及には、店を構えたそば屋だけでなく、夜そば売りが大きく貢献していた。
夜そば売りが「夜鷹そば」と呼ばれるようになったのは、市中にそば屋が目立って増え始める18世紀半ば以降よりも、少なくとも20年ほど遡る。
夜そば売りが重宝されたのは、ほかの飲食店が閉まっている夜中に営業していた。(夜9時から明け方まで)
一定の場所に店を構えるのではなく、一人で担ぐ「担い屋台」で自由に場所を移動した。
江戸時代には、大八車のように車輪のついた屋台はまだなかった。
屋根には市松模様が描かれることが多く、風鈴が吊るされ、音で蕎麦売りの存在を知らせる役割を果たしていた。
調理設備として、茹で釜と七輪が備え付けられ、その場で蕎麦を茹でて提供できる簡易調理システムが
整っていた。
担い屋台の構造と機能(一例)
右側の箱(キッチンセット)
上段:調味料(麺つゆ、唐辛子など)や燗酒用の道具。
中段:茹で釜。
下段:七輪と水桶。
左側の箱(ストッカー)
上段:蕎麦猪口やどんぶり
中段:蕎麦やうどん玉を収納する棚
下部:箸入れやその他の道具
担い屋台そば
2024_11/30
愛知県豊橋市のB級グルメ「カレーうどん」
先日、豊橋駅に降りる機会があったのでGoogleマップで検索して近くのお店に入りました。
豊橋カレーうどんは、器の一番下に「ご飯」、その上に「とろろ」、その上に「カレーうどん」が重なっているんです。
「うどん食べ終わった残りのルーがもったいない」
そんなことがきっかけだったようです。
「おいしかったです!」
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豊橋カレーうどん
2024_11/23
先日「蕎麦屋 八兵衛 静岡店」に入りました。
本格的蕎麦屋なので今までは冷たい蕎麦しか食べたことがないのですが、
寒い日だったので暖かい蕎麦(天なん)を始めて注文。
冷たい蕎麦のような歯ごたえはありませんでしたが、だし汁と麺がとってもおいしかったのと同時に体が温まりました(笑)
蕎麦屋 八兵衛 天なんそば
2024_11/11
昨日、長女夫婦のお誘いで「用宗を楽しくする会」主催で前田農園のみかん狩りバスツアーに参加しました。
写真のTくんはニコニコしながらのみかん狩り、摘み取ったみかんをおいしそうに食べていたのが印象的。
みかん狩りと共にバーベキューも楽しみみましたが、用宗を楽しくする会の人たちとも楽しく会話をすることができました。
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前田農園 ミカン狩り