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2006_01/26

父・村田 保

村田ボーリング技研・会長 村田保.jpg 集団化事業の全国草分けとして歴史を誇る静岡機械金属工業団地(協)の理事長。昨年一○月、組合法施行五五周年の記念式典で、同組合は経済産業大臣表彰を受賞した。
 「組合の功績が評価されて光栄です。共同受電事業や金融事業など組合事業は順調そのものだが、これは組合員の一致団結の賜物」と周囲に感謝する。
 理事長就任は平成三年。
 「今までの苦労? 特にないなあ」と笑顔でかわすが、前理事長の路線を継承しつつも組合金融の改革を敢行。バブル期に忍び寄った組合事業の歪みを、きっちりと修正した。
 「バブル崩壊で土地の担保価値が急落した。その分、転貸の融資枠引き下げが必要だと」。決断に際しては議論白熱する中、組合員の利便を損なわない代案を示し、理解を求めた。後に発生した組合員の倒産の際は、この決断が功を奏し組合は無傷で不測の事態を乗り切った。
 江戸時代から鍛冶屋を営む家系。昭和二年、静岡市に生を受け、父親のハンマーをふりおろす背中を見て育つ。学業を終えた昭和二〇年、三菱重工に就職するも病を患い人員整理の対象に。翌年には父親の交通事故を機に、二十八歳で家族七人を支える苦労もした。
しかし、持ち前の負けん気と旺盛なアイデアが自身を窮地から救う。その一つが、ヤミ市で仕入れたスルメだ。自前の機械を製作し、二回りも大きい“のしいか”に加工・販売することで、少なからずの利幅を得た。その後、回復した父親と共に「駅南村田鉄工所」を創業。昼夜なく働き、商売の原点を学んだのはこの頃だという。三二年、父親の急逝により三○歳で社長に就任した。
 昭和三八年の当団地移転後は、ひたすら溶射加工技術を追求。「世の中に絶対必要で他社と競合しない技術・製品を開発」「市場は小さくても技術力でナンバーワンをめざす」を戦略とし、業界トップクラスの地位を築いた。創業以来、赤字知らず。
 現在、県モラロジー経済同友会の会長職にあり、三方良し(相手も良し、第三者も良し、結果として自分も良し)の経営をめざす。
 旅行が楽しみで、キリストや釈迦、孔子など先人ゆかりの寺社、史跡を夫人と共に巡る。
中小企業静岡クローズアップインタビュー記事より
(2005年2月号No.615)

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