よく「偶然の出会い」と言いますが、私は日々の出来事はすべて“必然”だと思っています。
人生で起こることに無駄はなく、嬉しいことも、辛いことも、すべてが自分を成長させるための出来事。
たとえ「ツイていない」と感じることがあっても、それを「学びの機会」と受け止めることで、気持ちは前に向かいます。
大切なのは、出来事をどう捉えるか。
視点を変えれば、どんな経験も“自分を磨くチャンス”に変わるのだと思います。

村田ボーリング技研株式会社2025_11/05
よく「偶然の出会い」と言いますが、私は日々の出来事はすべて“必然”だと思っています。
人生で起こることに無駄はなく、嬉しいことも、辛いことも、すべてが自分を成長させるための出来事。
たとえ「ツイていない」と感じることがあっても、それを「学びの機会」と受け止めることで、気持ちは前に向かいます。
大切なのは、出来事をどう捉えるか。
視点を変えれば、どんな経験も“自分を磨くチャンス”に変わるのだと思います。

2025_11/04
昔から「気持ちは若いんだけどね!」という言葉をよく耳にします。
その言葉、今の自分にもよくわかるようになりました。
68歳になった今でも、気持ちだけは“若いつもり”でいます。
年を重ねると「もう歳だから」「若くないから」と、知らず知らずのうちに諦めが増えていきがち。
けれど、その気持ちが“老い”を早めてしまうのかもしれません。
私の場合、父が80代半ばで歩くことが難しくなった姿を見て、「自分はそうなりたくない」と強く感じたので10年前からの早朝ラン、最近では早歩きを実践しています。
大切なのは、年齢ではなく「まだできる」と思う心。
そして「若い人には負けないぞ」という気概です。
挑戦する気持ちを持ち続けることこそ、本当の若さの証なのだと思います。
写真:ウォーキング中に撮影(JR東海道線路沿い)

2025_11/03
「夢」という言葉を辞書で引くと、日本では「現実から離れた空想」や「はかないもの」と説明されています。
一方で、欧米では「夢は実現するもの」と表現されているそうです。
たしかに、日本では「夢みたいなことを言って」と笑われることがありますが、欧米では「すてきな夢だね!」と励まされる。
文化の違いとはいえ、この“受け止め方”の差は大きい。
思えば、私も子どもたちに「夢を持て」とはあまり言ってこなかった気がします。
夢は人を前に進ませる力を持っています。
叶うかどうかよりも、“夢を描き続ける心”があるかどうかが大切なのかもしれません。
夢を笑うのではなく、応援し合える社会にしたい。
そう思う今日この頃です。

素敵な空模様
2025_11/02
健康維持のために続けている早朝ウォーキング。
できるだけ速いペースで歩くよう心がけています。
出発時間はいつも朝5時半が目標。
夏シーズンは空も明るく気持ちよく歩けますが、最近ではすっかり真っ暗な中でのスタートになっています。
これまで特に反射板などは付けずに歩いていましたが、やはり安全のためには必要だと感じ、ネットで調べてみることに。
以前は「ただの反射板」しかなかったのが、今では充電式の高輝度LED反射グッズが主流になっているんですね。
さっそく今回は、腕に巻くタイプのLED反射バンドを購入しました。
光がしっかり届いて、遠くからでも視認性抜群。
これで、暗い時間帯のウォーキングも安心して続けられそうです。

充電式高輝度LED反射板
2025_11/01
初詣やお祭りなどで神社を訪れると、賽銭箱に向かって小銭を投げ入れる人をよく見かけますが、その光景見るたびに、違和感を感じます。
人に対してお金を投げるのは失礼とされるのに、神様や仏様に向かって投げるのはなぜ許されるのでしょうか。
お賽銭とは、本来“お願いの代償”ではなく、“感謝の気持ち”を表す行為であって、
「投げる」よりも「静かに捧げる」方がふさわしいのではないかと。
私自身、参拝の際には賽銭箱の前に立ち、心を落ち着けて静かにお金を入れるようにしています。
そして、それは金額の多い少ないではなく、“心のこもり方”が問題ではないかと。
神仏への敬意は、手の動作ひとつ、音の立て方ひとつに表れるものだと感じます。
靖国神社
2025_10/31
私が子どもの頃は、孫がいるような人は、間違いなく「老人」でした。
しかし、今の60代・70代は元気そのもの。
マラソンやボランティア、地域活動など、まだまだ現役で活躍している方が多いです。
私自身もその一人(笑)
しかし、時代の流れの速さを感じる場面は数知れず。
デジタル機器やSNSの話になると、若い世代の方がはるかに詳しく、考え方も柔軟です。
そんなとき、「なるほど、こういう見方もあるのか」と思えるかどうかが、“おいては子にしたがう”の心だと思うものかなと。
年齢で区切るよりも、「自分より若い人から素直に学べる心」を持ったときこそ、“老いて”の始まりなのかもしれません。
写真;40年前 父58歳、母56歳、私28歳、高度成長時代でした。

2025_10/30
昨日は安倍川河川敷沿いのA事務所で会合がありました。
会合が終わったのは17時過ぎ、外へ出ると、広がる空が見事な夕焼けに染まっていて、とても心が癒やされました。
朝焼けや夕焼けが大好きで、十年以上前には一眼レフカメラと三脚を持ってよく撮影に出かけていたことを思い出します。
久しぶりにこんな美しい夕焼けを見て、自然の力に静かに感謝した夕方でした。

