Aiに脱藩のことを尋ねてみた。
「武士が自分の仕える藩を無断で抜け出し、藩籍を離れること」
当時、藩の許可なしに出国(江戸などへの移動)や他藩への仕官は禁止されており、今でいう「脱走兵」「亡命」「出奔(しゅっぽん)」などに近く、処罰例としては死罪、切腹、家族連座、士籍剥奪(武士の身分を失う)などがあったという。
「坂本龍馬が土佐を脱藩したことはあまりに有名ですが、なぜ処罰されなかったのか?」という疑問が頭をよぎりました。
Aiに質問したところ「なるほど・・・」という回答で納得。
・龍馬は1862年に脱藩(土佐藩から無断離脱)
・同年、長崎・江戸・京都で活動開始し、「海援隊」結成
・土佐藩内の改革派(後藤象二郎)が彼を高く評価し、事実上の脱藩赦免を通達
・最終的には「土佐藩士」として正式に復籍もしている(1867年)
坂本龍馬が処罰されなかった主な理由
① 政治的に重要な人材となったため
脱藩後、倒幕・開国のために奔走し、薩長同盟の仲介など国政レベルの活動を展開。幕末の動乱期において、「国家のために働く志士」として見逃される空気があった。
② 土佐藩が後に事実上「許した」ため
龍馬は最初は脱藩者として追われる立場でしたが、後に土佐藩内の開明派(後藤象二郎ら)が彼の存在価値を認め、事実上の赦免・支援を行うようになった。
③ 時代の変化(幕末の混乱)
幕末は「倒幕」「尊王」「開国」「佐幕」などが入り乱れた時代。旧来の藩制度やルールが揺らいでおり、脱藩そのものの意味が薄れていった時期でもある。
④ 土佐藩にとってもメリットがあった
龍馬の働きが、土佐藩の名誉・影響力を高めた(例:薩長同盟や大政奉還構想など)。そのため、あえて処罰せず、むしろ協力関係を築いた。
2025年6月16日
2025_06/16