社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

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「村田ボーリング技研」

2025_12/02

笑顔あふれる忘年会。仲間と迎える一年の締めくくり

気がつけば、もう12月。

昨晩は久しぶりに管理者メンバーで忘年会を開催しました。

20年ほど前は、役員を含めて6人だった管理者が、今では13人。

気づけば人数も倍以上になり、会社の成長とともに仲間が増えたことを実感します。

2時間の宴席は本当にあっという間で、笑い声の絶えない楽しい時間でした。

写真について少し補足・・・。

左の写真は「奥にいて写らないから、ちょっと立とうかな」と思った瞬間に撮られてしまい、「せっかくならちゃんと撮って!」と、改めて立って撮ってもらったのが右の写真です(^.^)

仲間と過ごす時間は、やっぱりいいものです。

2025_12/01

「国旗が揺れる工業団地を目指して!」

静岡市内の工業団地にある我が村田ボーリング技研は、約35年前から事務所前に設置したポールに国旗を掲げ続けています。

工業団地内約にある30社の中で、国旗を常に掲揚しているのは当社だけ。

数年前、「この団地を国旗が並ぶ明るい工業団地にしたい」と思い、5社の社長に直接お願いに伺いました。

すると、

  • 「多国籍なので、揚げるには数年かかります」

  • 「自社では揚げません。理事会で決めてください」

  • 「ええ……」

  • 「検討します」→その後返事なし

  • 「国旗は国民の祝日にだけ揚げるものでは?」

という反応ばかり。

結果的に、1社だけが掲げてくれるようになりました。

団地協同組合にポールが設置されているので「揚げてください」と国旗をプレゼントしたところ、今ではしっかり揚げてくれています。

国旗を掲揚する文化が薄れてしまっている現状を寂しく感じるのは私だけでしょうか?


静岡機械金属工業団地協同組合

2025_11/27

遠くの光がチラチラ揺らぐのはなぜなの??

夜に遠くの光を見ると、チラチラと揺らいで見えた経験は誰にでもあると思います。

「なぜ揺らぐのか?」と調べてみると、これは空気の性質によるものだそうです。

夜の大気は場所によって温度差があり、その温度差で空気の密度が変わると、光の進む方向も微妙に曲げられます。

この「空気のゆらぎ」こそが、光が揺れて見える正体。

星が瞬いて見えるのも同じ仕組みで、遠くの光ほど大気の影響を受けやすく揺らぎも大きくなります。

ふと見上げた夜景の光が揺れていたら、「自然のいたずらだな」と思えば、ほんの少しロマンを感じられるかもしれません。

2025_11/22

11年目の朝ラン「走れない」から「早歩き」へ!

走り始めてから、気がつけばもう11年になります。

昨年あたりから、年齢による体力低下の影響か、以前のように連続で走ることが難しくなり、最近は「早歩き」が中心になりました。

ふと、「どれだけ早く歩けるんだろう?」と競歩の世界記録を調べてビックリ。

20km、35km、50kmの競歩選手は、なんと1kmを4分前後で歩くんです。

私の瞬間の全力疾走より速いじゃないですか…(汗)

試しに競歩のように腕を振って一生懸命歩いても、1kmを9分台が精いっぱい。

「走る」とは、両足が地面から離れる状態、「歩く」とは常にどちらかの足が着いている状態。

この違いを意識しながら「小走り状態で歩く」ことをを意識したとこと、1kmの最速で7分、連続でも8分台で無理なく歩けるじゃぁないですか。

昨日は久しぶりに、1km8分台で6km連続して歩くことができました。

競歩は腰を振りながら歩くので内臓脂肪の燃焼にもなるのかと思っています。

年齢と向き合いながらも、小さな工夫で前に進めるものです。

写真:早朝ウォーキング中に撮影

2025_11/20

「出る杭」をどう扱うかで組織の未来は変わるのでは?

ことわざに「出る杭は打たれる」とありますが、私はこの「出る杭」こそ組織の未来を広げてくれる存在ではないかと感じています。

新しい取り組みや改善案を出す人ほど、最初は周囲と違う行動をするため、どうしても摩擦が生まれる。

しかし、組織を良くしようと考えるなら、波風を恐れていては何も変わりません。

会社が社長の器以上にならないように、チームもリーダーの器以上には成長しません。

「出る杭」を伸ばせるリーダーがいるチームは、強くなる組織なんだろうなぁ。

一方で、自分のやり方に固執し、新しい芽を潰してしまう人は、周囲の信頼を失っていくのは間違いありません。

大切なのは、「その杭は打つべきなのか、それとも伸ばすべきなのか?」を冷静に見極めること。

じゃぁ、果たして今の自分はどちら側にいるのでしょうか?

2025_11/16

福島第一原発視察で感じた「命を懸けた現場」の現実!

福島第一原発1号機は、日本で最初に建設された商業用原子炉。

アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)が日本の原子炉技術を指導する目的がありました。

1号機から4号機まではGE指導の元に東芝・日立製作所が関わりノウハウを構築。

当時、アメリカでは津波を想定した設計が必要ではなかったため、非常用ディーゼル発電機はタービン建屋の近くの低い位置に設置されました。

福島第一原発の敷地は海抜約10mでしたが、実際には約15mの津波が襲来。

これにより非常用発電機が浸水して使用不能となり、原子炉を冷却できず重大事故へとつながることに。

その後、水素が原子炉建屋に漏れ出し爆発。

炉心内部の圧力は安全基準の2倍に達し、「いつ爆発してもおかしくない」極限状態の中で放射線量の高い建屋内へ突入し、圧力容器の爆発を食い止めた東京電力の社員たち、そして決死の注水作業を行った自衛隊員が日本を守った。

今回、我が社のスタッフと共にその現場を視察しました。

関係者約4,000名が、最長40年・約8兆円と言われる廃炉作業に日々取り組んでいます。

私自身は今回が3回目の視察ですが、そのたびに「この場所で命を懸けて戦った人がいた」という事実に、胸が熱くなります。

前日には、8.4mの津波で住民5,600人のうち756名が亡くなった宮城県・閖上(ゆりあげ)地区、そして343.6haの海岸林のうち307.0haがなぎ倒されてしまった仙台空港近くの防災林を視察。

震災後、この地域では「全長5km × 幅200m=約100ha」に37万本もの苗木が植樹されたそうです。

地元で造園業を営んでいる田中秀穂さんは、林野庁から託された1.5haの海岸林を守り、京都御所で採取した種から育てたクロマツ1万4,000本を植樹。

私たちは松の成長を妨げるツルの除去作業を体験させていただきました。

二日間の視察を通じて感じたのは、
「被災地では今も全力で復興が続いていること」
「震災の教訓を後世へ伝えようとする強い思いがあること」です。

今回参加したメンバーも、多くのことを学んだ視察となりました。

「写真提供:東京電力ホールディングス」

 

2025_11/15

「今日もまた、ちょっと反省です!」

会議や打ち合わせの場で、

つい「あれがないからできない」「これがないからできない」と口にしてしまうことがあります。

特に、気の合わない相手から言われた時ほど、その傾向は強くなるものです。

一方で、周りから信頼を得ている人は、与えられた条件の中で最善を尽くそうとします。

環境や他人のせいにせず、「今あるものをどう活かすか」に目を向けられる人や組織は、逆境に強く、確実に成長していくのではないでしょうか。

「できない理由を探すより、できる方法を探す」

その積み重ねが、未来を切り開く原動力になる。

分かっちゃいるけど、つい口から出るのは“できない言い訳”ばかり。(^^;

今日もまた、ちょっと反省です。