共和工機主催の”感謝の夕べ”が品川高輪プリンスホテルで開催 。
この会場は”飛天の間”で良く芸能人の結婚披露演で良く使われる会場です。
何でも”日本工作機械見本市”に招待する為に23年前から”感謝の夕べ”を開催していると言ってましたが今回の招待客は750人とのこと。
一人4万円の経費で3000万円・・・・・、凄いですね!!!
明日は第23回日本工作機械見本市に行って来ます。
http://www.jimtof.org/Jap/index.html
2006_11/01
共和工機主催の”感謝の夕べ”が品川高輪プリンスホテルで開催 。
この会場は”飛天の間”で良く芸能人の結婚披露演で良く使われる会場です。
何でも”日本工作機械見本市”に招待する為に23年前から”感謝の夕べ”を開催していると言ってましたが今回の招待客は750人とのこと。
一人4万円の経費で3000万円・・・・・、凄いですね!!!
明日は第23回日本工作機械見本市に行って来ます。
http://www.jimtof.org/Jap/index.html
2006_10/28
「ツキの大原則」公開講座に参加した当社社員の勝〇さん
と久保〇さん
!
セミナー終了後に「一杯やりますか
?」と入ったパルシェの居酒屋!
勝〇さんが持っているのは”人間まるわかりの”
「動物占い」!
「結構当たってる!」
彼らと話していて3人とも「バスの運転手やコンビでお金を払う時や色んな所で『ありがとう』と言っている」という共通の事が分かり、
「当たり前のことだから別に特別なことではない」と言う話しに!
勝〇さんが18時に別な飲み会
があるとのことで17時45分にお開き!
「飲みすぎるなよ!!!!!」
ちなみにインターネットで調べた「動物占い」の僕の結果です?(笑)
https://www.ecareer.ne.jp/user/register/animal-input.do?s=ov_ec_6498
”あなたは、ぐんぐん組の狼です”
2006_10/22
20日の金曜日に長泉中学校の生徒さん3人が社会勉強の為に来社。
私が出張の為、総務課の勝○君が応対してくれました。
何でもインターネットで検索して当社を決めたようで、なんで当社を決めたのかの理由は聞いてはいませんが嬉しい限りです。
熱心に説明をしているのは研削担当の宮○さん
こちらは山○さんです。
勝○さん、村田ボーリング技研を見学した理由は何か言っていましたか?
2006_10/19
溶射工業会関東支部総会が椿山荘で開催された。
北は青森県から西は静岡県までが関東支部で二十数名が参加。
椿山荘庭園は、山口県萩市出身の明治・大正の陸軍(大将)であり政治家(総理大臣経験)でもある山縣有朋が1878年に着手した日本で最も天然趣味に優れた名園だそうです。
隣接しているフォーシーズンズホテルはシングルルームが一泊5万円の超高級ホテル。
こんな有名な場所が今年新入会したZ社のグループ会社なのでちょっと割安で申し込みが出来たとのこと。
総会終了後の懇親会の食事は美味しかったし、ウエイターの対応も違ってちょっとリッチな思いをするとができました(笑)
2006_10/16
今日、G社の方々が来社
二人がアメリカから、二人が中国から、そして二人が日本人の合計6名で、今回の仕事にかなりの力が入っていることを肌で感じました。
最近の中国人の若い人は大学を出れば英語を話せるのは当たり前で第二外国語をも話せる人もいると聞く。
今回来た二人の中国人は英語が話せて一人は日本語がぺらぺらだった。(もっとも日本で6年間生活していたそうだが・・・)
我々の技術がG社に認めって貰うよう努力して行くつもりです。
G社の皆さんわざわざのご来社”ありがとうございます”
工場内で挨拶をしてくれた皆さん”ありがとうございます”
「田○さん、お話しした通りブログに掲載しましたよ・・・(笑)」
2006_10/15
村田ボーリング技研の創業者・祖父”亀之助”の子供の次男つまり父(会長)の弟である叔父(村田和雄氏)が2006年5月21日〜8月23日の95日間、70歳の年齢で太平洋横断を単独で成功。
関西系では報道されたそうだが静岡県内では報道されなかったし、なんとなく「そんなことをした」とは聞いてはいましたが、大それたことだという実感がありませんでした。
土曜日に関西に住んでいる叔父が静岡に来たので話しを聞いたりホームページに掲載されている”リアルタイム冒険記”を読んだら、とんでもない快挙だと言う事があらためて分かったので皆さんにご報告します。「えっ気が付くのが遅いって!」
大学時代からヨットをやっていて70歳のケジメとして挑戦したとのこと。
360度地平線の見える太平洋での海の上で一人ぼっちの旅は本当に孤独だったことだろうと思います。
まづ自分との戦い、そして低気圧での荒れた海でのは想像以上の不安が付きまとったに違いありません。
低気圧の状態では船から投げ出せてしまうので船外にでることが出来なく、ただじっと船室にこもっていてただ時間を待つことしかなく、時には船が90度倒れてしまったこともあったそうです。
ご興味があるかたは下記のホームページにアクセスして「七十歳のリアルタイム冒険記」を読んでみてください。
http://www.zoomin.co.jp/patbank/rensai/murata.html 七十歳の太平洋航海記(リアルタイム冒険記)
そんな凄いことをした叔父のDNAが僕の身体にも流れていると思うとそれだけで嬉しいです(笑)
70歳は通過点、これからが人生の第3のスタートですね。
写真は友人・知人の乗る出迎えの船に伴走されながらサンフランシスコ、金門橋に向かう叔父。台湾では有名な雑誌に掲載されました。71歳と書いてあるのは”数え”の歳です。
サンフランシスコ・ヨットハーバーに到着
特注で造られた日本製の木製クルーザー(26フィート)咲良丸 ”さくらまる”
到着後のパーティーにて!
http://www.gregorycase.com/sfyclub/index.htm (サンフランシスコ・ヨットクラブHPに到着後の写真がアップされています)
2006_10/03