どんなに受け入れがたいことが起きた時に、直ぐに「解決できること」と「解決できないこと」があります。
解決できる問題であれば、前向きに努力することで道は開ける。
どうにもならない問題は、早めに受け入れられることができれば、次の一歩を踏み出すことができますが、
逆に受け入れられないまま悩み続けていると、心が消耗するだけで何も進展しません。
「ツイている人」とは、起きた出来事をすぐに受け入れ、さらには「災い転じて福となす」ことができるんだろうなぁ!!
素敵な空模様
2025.09.24
どんなに受け入れがたいことが起きた時に、直ぐに「解決できること」と「解決できないこと」があります。
解決できる問題であれば、前向きに努力することで道は開ける。
どうにもならない問題は、早めに受け入れられることができれば、次の一歩を踏み出すことができますが、
逆に受け入れられないまま悩み続けていると、心が消耗するだけで何も進展しません。
「ツイている人」とは、起きた出来事をすぐに受け入れ、さらには「災い転じて福となす」ことができるんだろうなぁ!!
素敵な空模様
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2025.09.23
「指導先の7割近くの経営者が、スピリチャル系の方に会社の決断が正しいかの意見を聞いていた」と、船井総合研究所創業者の故船井幸雄氏
興味を持った船井氏は1,000人以上と実際に面会したそうです。
大きなリスクを伴う経営判断においては、論理を超えた直感や「目に見えない力」に頼りたくなるもの。
「見えないもの」否定するのではなく、「もしかしたら、存在するかもしれない」と柔軟に考えることが必要なことかもしれません。
柔軟な思考こそが、新しい可能性を広げる鍵となるんでしょうね!
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2025.09.22
「家族や身近な人に対しては、あれもしてほしい、これもしてほしいと、どうしても要求度が高くなりがち」と福島正伸さんは言います。
確かに、親しくない人には気を使って丁寧に接するのに、家族にはつい甘えてしまうことがありますよね。
我が家では「おはよう」の挨拶は当たり前ですが、「今さら奥さんに挨拶なんて…」といった声を耳にすることもあり、実際に挨拶すら交わさない家庭もあるようです。
福島さんは、「身近な人にこそ自ら行動できる人は、外の人間関係でも実践できる」とも話されています。
やはり、まずは家族を大切にすること。そこからすべての人間関係が広がっていくのだと思います。
写真:福島正伸 日めくりカレンダー
福島正伸 日めくりカレンダー
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2025.09.21
「人はなりたいようにしかならない」と福島正伸さん。
目標を立てても、成功するかどうかを決めるのは環境や方法ではなく、自分自身の「本気度」。
心から「変わりたい」と願い、行動を積み重ねる人には結果がついてくるし、そうでなければ成果は生まれません。
今の自分は、これまでの行動の積み重ねの結果。
そう考えると、未来の自分は「今日の行動」でつくられていく。
さて、自分は「なりたい自分」に向かって歩んでいるのかしら・・・。
早朝の空模様
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2025.09.20
今朝のNHK BSで「江戸のおやつ」という番組を放送していました。
「おやつの語源って何?」
ということで調べてみました。
江戸時代の時刻制度では、一日を「十二刻(子・丑・寅…)」で区切っており、今の時刻に当てはめると、午後2時ごろが「八つ時」と呼ばれていた。
当時の人々は一日二食(朝と夕方)が基本だったため、午後2時ごろに小腹を満たすために軽く食べる習慣があり、この風習が「お八つ」(おやつ)の語源となる。
やがて「八つ時に食べる軽い食事」が省略されて「おやつ」となり、現在では時間に関係なく子どもが食べるお菓子や軽食・間食全般を意味する言葉として使われるようになった。
「なるほどねぇ~!!!」
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2025.09.19
伊勢神宮に代表されるように、神社の参道には白い砂利が敷き詰められています。
なぜ砂利道なのだろう?と思い調べてみると、そこには深い意味がありました。
まず、石や砂利には「不浄を祓う力」があるとされ、参道を清らかに保つだけでなく、歩く人の足を自然に清める効果がある。
また、土のままでは俗世と神域の境があいまいですが、砂利を敷くことで「ここからは神様の領域ですよ」という結界の役割を果たしている。
さらに「ジャリジャリ」と踏む音には、邪気を祓ったり、神様に参拝者の訪れを知らせたりする意味も込められている。
実用面でも、雨水をよく通すため地面がぬかるみにくく、雑草も生えにくいので美しい景観が保たれる。
なるほど、砂利一つにも神社の奥深い心づかいが込められているのですね。
写真:静岡護国神社参道
神社の砂利道
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2025.09.18
私たちは日々、仕事や生活の中で「技術」や「知識」を身につけようと努力することで、一定のレベルに達することができる。
坂本光司先生がよく語っている「徳人になりなさい」という言葉を思い出すと、技術や知識以上に大切なのは「人としての徳」ではないかと考えさせられます。
松下幸之助氏も「人間として一番尊いものは徳である」と言い残しています。
技術は教えたり習ったりできても、徳は誰かから与えられるものではなく、自分自身で気づき、磨き続けるしかありません。
徳を高めることは簡単なことではありませんが、日々の小さな積み重ねがやがて大きな人間力となるはず。
私もまだ道半ばですが、少しずつでもその方向に歩んでいきたいと思っています。
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