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2010年6月10日

2010_06/10

村田ボーリング技研・60周年を迎えて

  三報出版社発行「溶射技術」誌の担当者から「創業60年を迎えてという題名で寄稿していただけませんか」と言う依頼がありました。

  元々自分の気持ちを素直に文章にすることが苦手なほう・・・・!

  少しづつ考えて書くと言うのも苦手なのでゴールデンウィークの半日をかけて一気に書き上げました^_^;

  以前、この事を書いたら「全文アップしてください」と言うコメントが何件かあったので全文アップします(^_^;)

 
溶線式フレーム溶射

溶線式フレーム溶射・・・・ワイヤを3000度のガス炎で瞬間的に溶かして圧縮空気で吹き飛ばしている所。

 

忙しい方はここで終了してください^^;

お時間のある方は下までお読み頂ければ幸いです^_^;

今日は皆様のコメント・・・少ないだろうなぁ(~_~;)

 
溶射技術

溶射技術:三報出版社発行

 

「村田ボーリング技研」創業60周年を迎えて

1、はじめに

 村田ボーリング技研株式会社は1950年(昭和25年)に創業して2010年4月3日を持って創業60年目を迎えました。1961年(昭和36年)に溶射装置を導入し、現在に至っております。ここでは溶射技術編集部から「60周年迎えての3代目社長としてのメッセージをお願いします」と言う依頼があったので思いついたことを書いてみました。

2 オートバイのエンジン再生からスタートした創業期

  1950年(昭和25年)4月、祖父村田亀之助が創業。当時の会社名は静岡駅から南側に歩いて3分程度の場所にあったため、「駅南村田鉄工所」と言う名前でした。

 創業時は自動車、オートバイのエンジン再生(エンジンボーリング)を目的にスタート。戦後の貧しい時代に貴重で高値だった自動車やオートバイのエンジンボーリングの仕事は盛況を極めたそうです。

村田会長 40歳位

村田保会長 40歳位

 

 ちなみに弊社会長(村田保)は入社60年目なので祖父が会社を興した時の創業メンバーです。昭和27年には静岡県内で初のクランク研削盤を導入して研削加工にも力を入れて行きました。祖父はとても器用な人で静岡県旋盤工1級免許・第1号だと言うことを聞いていますので旋盤から研削盤導入は当然のことだったと思います。

 祖父の趣味はオートバイのツーリングで、良く仲間と一緒に出かけていたそうです。1957年(昭和32年)5月に静岡県伊豆市にツーリングに行っている途中、溝にはまり込んで転んでしまい、うちどころが悪く他界してしまいました。私が産まれる1週間前の出来事だったそうです。父は当時30歳、銀行の信用は祖父(当時60歳)であったので「祖父が亡くなっての資金繰りは大変だった」と子供の頃から耳にたこが出来るくらい聞かされています(笑)

 
エンジンボーリング中木造の工場でした(1959年頃)

エンジンボーリング・・・当時は木造の工場でした(1959年頃)

 
1967年(昭和42年)大型クランク研削盤の導入

大型クランク研削盤の導入(1967年・昭和42年)

 

3 溶射・レーザー設備の導入、海外工場の開設 

 1961年(昭和36年)に溶射装置を導入しましたので溶射の歴史は49年目。1967年(昭和42年)には日本一大型のクランク研削盤を導入した事により、全国から仕事が集中、「大阪に本社がある船舶エンジンの会社から運搬トラック便が毎日のように来ていて研削の完成を待って持っていった」、と言う話しも良く聞いています。ちなみにこの大型クランク研削盤は導入後43年間経過していますが、現在でも現役で大活躍中です。弊社は、以前より研削加工にも力を入れており、現在保有する研削盤台数は50台にも及びます。

 1972年(昭和47年)にはプラズマ粉体肉盛装置を自社開発、主に原子力部品、石油プラント、海水プラント部品に数多く利用していただいております。特に原子力部品に関しては沸騰水型炉(BWR)原子炉炉心に弊社の施工した部品が装着されており、現在でも稼働中です。ちなみに高速増殖炉「もんじゅ」にも弊社の技術が導入されています。

 
1965年(昭和40年頃)のダイレクトメール・・・当時のハガキの郵送代が7円でした

ダイレクトメール(1965年・昭和40年頃)・・・・当時のハガキ代が7円でした

 
1980年(昭和55年)頃の研削工場

研削工場(1980年・昭和55年)

 

 1979年(昭和54年)名古屋工場開設、1980年(昭和55年】東京営業所開設、1989年(平成元年)超大型ロール研削盤導入(φ1500×8000L)1990年(平成2年)減圧プラズマ溶射設備導入、

 1991年(平成3年)にはセラミックレーザー彫刻装置を導入。当時、ダンボール印刷で使われていたフレキソ印刷機械に使われていたのはメッキ製アニロックスロールでした。しかし、海外ではセラミックを溶射したセラミック・レーザー彫刻ロールが使われ始めていていましたが国内では生産するところがありませんでしたのでレーザー装置を導入し一貫して製作ができる国内唯一の企業にするつもりで計画していたのですが、国内に同じように考えている企業が2社あり、結局3番目のスタートとなりました。現在でもこの3社が残っております。

 ちなみに弊社は当時、溶射〜研削技術は持っていましたがレーザー技術やフレキソ印刷に関しての知識は全く持っておりませんでしたが試行錯誤しながら技術の蓄積を図り、現在では「液晶」を作る工程では無くてはならない部品にまで製品を供給するまでになっています。

 1999年(平成11年)東北工場開設、2005年(平成17年)には中国市場のフレキソ印刷業者をターゲットに上海工場を立ち上げました。昨年リーマンショックがあり、一時はどうなるやらと思いましたが中国国内景気は右肩上がりの様子、工場は毎日忙しく動いております。

4、経営の理念と心情

 
 弊社の経営理念は父が考えて作ったものですが、絵に描いた餅のような経営理念では無く一つ一つがやれば実現出来る内容になっていると思っています。

■経営理念

「人々の安心と幸福を実現するために、一人一人が品性の向上と三報良しの経営を目指し、存在感ある企業として、社会の進化発展に貢献する。

■信条

1、独自の技術を開発し、徹底した差別化によって高付加価値を実現する。

2、省資源産業の領域で、個々のユーザーニーズにきめ細かく対応して期待を裏切らないメリットを提供する。

3、ターゲットを明確にした取り組みに努め特定分野では常にトップシェアを確保する

■基本方針

1、人をていねいに育て一人一人を人財とする。

2、どのような小さな仕事にも真心で取り組み感動を与える。

3、あらゆる場面でスピードを小回りを効かせる。

4、一人三役に徹しきり多品種少量への対応を効率化する。

5、経営理念を軸として全員参加の一体化経営を実現する」

 最近は社員教育にも力を入れており、3泊4日の「気づきの勉強会」に数年間の歳月を掛けて殆どの社員を受講させました。掛けた費用は1000万円以上。余談ですが、当社は「接待交際費」がほとんどありません。数年前に久しぶりにあった税務調査の担当官から「村田さんは接待交際費がほとんど無い割には研修費が凄いですね」と言われたことが今でも笑い話になっています(笑)

 
村田光光生社長と五日市剛さん

溶射屋(村田光生)と五日市剛さん

 

 この社員教育の一環として5年ほど前から半年に一回づつ「やる気スイッチ」が入る講師をお呼びしての社員勉強会を開催しております。私自信、社長として色んな方のお話しを伺う中で「参考になった話しは社員に伝えよう」と思っても実際に社員に伝わるのは良くて1/10で実際はほとんど伝わっていないのが現状ではないでしょうか?「・・・・だとしたら直接講師本人を呼んで社員全員の前で話をしてもらえばいいや!」と思いました。「・・・・それなら希望する家族がいたら出席してもらおう・・・それならご縁のある方に声掛けして来てもらおう」と言う事で現在では定員500名の会場で開催しています。ちなみに元、溶射協会理事でもあった五日市剛さんは5回も登場してもらっている人気講師の一人です。五日市剛さんのことは知っている方も多いと思いますが、もと溶射材料メーカーのF社に勤めていた方で6年前に発行した講演録「ツキを呼ぶ魔法の言葉」が書店販売していないにも関わらず110万部が発行されているそうです。学生時代、全くツキが無かった五日市剛さんがどのようにして「ツイてツイて仕方がない状態」になったかがこの講演録に書かれています。

 この講演録を6年前から色んなご縁のある方にお渡ししていますが「特に”人生に疲れている人”や”仕事に疲れている人”が読むと元気が出るようです」(笑) 昨年の北京オリンピックでレスリング男子フリースタイル55キロ級で静岡県焼津市出身の松永共広選手が銀メダルを獲得しました。メダル受賞後のインタビューで「僕がメダルを取れたのもこの本のお陰です」と語っています。この「ツキを呼ぶ魔法の言葉」を簡単に説明すると嫌なことがあったら「ありがとうございます」、何か希望するようなことがあったら「○○ができました(過去形)感謝します」と言うだけなんです。五日市剛さんは今では雲の上の人になってしまいましたがサラリーマン時代から現在に至るまでを側面からみていましたので、この「ありがとうございます」「感謝します」の言葉の中には計り知れない力がこもっているのではないかと思っています。この五日市剛さんを連続で社員勉強会に講師として来ていただいていますが、毎回違う内容のモチベーションの上がる話しをしていただいており、出席していただいた方からは「本当に素晴らしい内容だった」という感想をいただいております。

 あと、若者に人気がある、福島正伸さん、中村文昭さん、香取貴信さんらをお呼びして、3時間以上の講演時間があっという間に過ぎてしまうくらいの感動をもらい、そしてやる気を貰います。この社員勉強会の日は就業時間内に開催していますが、製造や営業の若手社員がスタッフとして来客応対してもらうことも勉強の一つになっています。

 
60周年記念公演 講師 五日市剛さん 会場定員500人

60周年記念講演会(静岡グランシップ定員500名)講師は五日市剛さん

 

 現在、社員が育ってくれていているので、「社長がいなくとも会社が順調に回転している状態」になっています。僕は、「ワンマン社長ほど会社経営は面白いんだろうなぁ」と思っています。でも”社長がいなければ会社が回らない”状態と言うのは社長としては面白いかも知れませんが「人を育てる」と言う意味ではマイナスなのではないでしょうか?

 先ほどの「気づきの勉強会」に自分自信が参加した時に「村田さんは社長と言う肩書きが外れたら何人の社員が付いてくるんですか?」と質問され、絶句してしまいました。「自分の場合は”社長”と言う肩書きがあるので社員は仕方なく聞いている振りをしているに違いない」と大反省でした。・・・・この文章を呼んでいただいている皆様・・・・「社長(もしくは部長・課長・係長)と言う肩書きが取れて、個人名だけになった時に、果たして何人の社員が付いてきてくれますか?」・・・肩書きだけで人を動かそうと頭ごなしに人を動かしている人ほど肩書きが取れた時には誰も付いてこないのではないかと思っています?

 先ほどの、我が社の経営理念に「人をていねいに育てて一人一人を人財とする」と言う言葉がありますが「人材」ではなく「人財」として育てていきたいと言う思いがこもっています。

 話しは変わりますが1988年頃から最近までほぼ連続して色んな助成金を使って溶射にかかわる研究開発も行っております。自分の会社だけでは分からないような事でも大学の先生や公的機関の方とか専門の企業の方に指導を頂く事で技術の蓄積も図ることができ、しかもご縁の輪も広がって行くのではないでしょうか?

 私が使用している名刺は10年ほど前から点字を入れています。これは静岡のある信用金庫理事長の方と名刺交換した時に点字名刺を頂きました。理事長に話しを伺うと「元スポーツ選手で怪我をして首しか動かなくなってしまった方が健常者の方と一緒に営業に来られて、『点字名刺を使うことで相手に印象づけられますよ』と言う事に賛同して点字にしていますと説明してくれました。「現在行員600人中300人が点字名刺を使っているんです」と言われ、感動し、直ぐに点字名刺を作りました。

 この名刺は授産所の方が1枚10円で作ってくれますので一ケース1000円掛かります。僕は数多くの方が点字名刺を授産所に発注することで身障者の雇用が増えるのではないかと思っています。勿論、相手に印象付けられる事にも一役買っているのではないでしょうか?

 ほとんどの方は「会社で使う名刺を自分のおこずかいを作ること」に抵抗があって、真似をしてくれないですが、ほんの数%の方が賛同して点字名刺にしてくれています。我が社でも点字名刺希望の社員は会社で500円は補助しているので個人負担は500円なのですが点字名刺を好んで使う社員ほど感性が高いように思います。また、名刺交換した方で共感して頂き、点字名刺を作ってくれた方とは不思議と気が合います(笑)

 僕の夢の一つに海外出張の際に、ある外国人から「あなたは日本人か?・・・日本には村田ボーリング技研と言う会社があるそうだが、知っていますか?」と聞かれる事なんです・・・、規模は小さいけど何か光る技術を持っている会社にして行きたいと常に思っています。

 先ほど、モチベーションの上がる方をお呼びしていると書きましたが、この「やる気スイッチを入れてくれる元気な方をお呼びすることで静岡県を元気にしたい!」と考えていますし、そういうことをし続けて行くことが地域の社会貢献にも繋がって行くのではないかと思っています。

 2006年からブログを投稿しています。これは「自分の思いや気が付いた事や綺麗な写真をアップすることで色んな方との出会いがあれば嬉しいなぁ」と言うことで始めました。現在では1500エントリーになっていて、「溶射業界の中では投稿数が断トツの1位ではないか?」と自画自賛しています!(笑)・・・・・これも経営理念の「・・・・特定分野では常にトップシェアを確保する」に繋がってますね(笑)。もし興味のある方は村田ボーリング技研のホームページのトップページにブログへのリンクがありますのでご覧ください。

  そうそう、ホームページで思い出しましたが2007年にSBS静岡放送で、ラジオコマーシャル「パパのお仕事篇」を制作しました。そのラジオコマーシャルが2007年度・静岡県CMグランプリ優秀賞を受賞しました。こちらの方もホームページのトップページに「ラジオCM」と言うバナーがありますので、ご興味がある方はお聞きください。お父さんと娘さんの何気ない会話がとても印象に残ります!

 ちなみにテレビコマーシャルも「えっ!何??」と言う、楽しいCMを制作してありますのでこちらの方もどうぞご覧ください。

 
60周年記念懇親会 早食いゲームをしている所

60周年記念懇親会 早食いゲームをしているところ

 
60周年記念懇親会で挨拶する村田保会長

60周年記念懇親会で挨拶する村田保会長

 

 今年60周年を迎えるに当たって「周年記念式典」も考えたのですがこのような時期なので代わりに、「全社員対象の60年周年記念懇親会」を開催いたしました。今までの定年退職者の方や社員の家族やお世話になっている仕入れ先の担当者もお呼びしての総勢150名で余興あり、ゲームありの、あっという間の楽しい時間だったです。

 

勲章伝達式会場

春の叙勲伝達式(東京プリンスホテル)

 
伝達式会場・東京プリンスホテル

春の叙勲伝達式(東京プリンスホテル)

 

 2010年4月29日に春の叙勲の発表があり、村田保会長が「旭日双光賞」を受賞いたしました。これも色んな皆様に支えられて来たことの結果だと思って深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。

経営はゴールの無いマラソンランナー」だと言う経営コンサルタントがいますが、正にその通り!今後、70年、80年と経営を継続して行くつもりです。40年後の100周年の時には92歳になるので、その時にも健康な身体で迎えたいと思っております・・・やっぱり身体が資本ですからね!

 今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

 

・・・ここまでお読み下さった皆様、本当にありがとうございます。

心から感謝申し上げます(^―^)

 
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