社長ブログ
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日々の気づきを投稿中

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「村田ボーリング技研」

2006_05/17

溶射屋・村田ボーリング技研

ガスタービン.jpg

「村田ボーリング技研」は今年の4月で総業56周年を迎えた。

総業当時は「エンジンボーリング」という技術を専門としていたが、現在は「溶射」加工という「表面技術」を専門としている。

写真は「ガスタービン」と行って電力会社などで使用されているマシン。

電気はあって当たり前だが停電になるとパニックにおちいる。だから絶対に間違いは許されない。

そういうマシンの1000度以上の高温になるところに「溶射技術」が使われている。

 

2006_05/11

日刊工業新聞 広告掲載

日刊工業新聞 広告.jpg

10日(水)に日刊工業新聞に掲載した広告です!

デザインは支局長にお任せしました、センスがあって個性がある支局長です

卵からムラタのロゴマーク(技術)が産まれているイメージです。

名前は泥臭いですがやっていることは結構先端的なことだったりするんですよ!

この社名で良い事は初めて会う人やお客様に社名を覚えてもらいやすい!!

反対は学生には不向きですね。

「会社見学などしてもらうと結構興味を持ってもらえたりするんだけどな!」

村田ボーリングは25年以上前から大学求人しているんですよ!

中小企業は高卒や中途採用が当たり前ですが、当社は基本適には新卒採用が中心です。

よろしく!

2006_05/02

村田亀之助

村田亀之助.jpg

「村田亀之助」村田ボーリング技研の創業者

亀之助が1950年に村田ボーリング技研(株)の前進「駅南村田鉄工所」を設立。

設立後7年目でオートバイに事故で亡くなってから          50回忌を迎えた。(享年60歳)

僕が生まれる3週間前に初孫が産まれることを楽しみにしていたがオートバイ仲間と伊豆をツーリング中に転倒事故で亡くなる。    だから僕の祖父のことは全く知らない。

法事で久しぶりに会う叔父さんや叔母さんから祖父の話しを聞く。皆当時を懐かしみながら語っていた。

祖父はとてもひょうきんな性格だということと、手先が器用で「難しい仕事は亀之助さんに頼めば」と皆からも慕われていたらしい。

お客さんが軸にくっついて外れなくて困って祖父の所に持ってくる。祖父は叩きどころを心得ているのでハンマー一振り、あっと言う間にくっついていた物がとれて「たたき代」をもらったり、静岡県内で1級旋盤士第1号だったなど色々と聞いていて面白い!  

そんな事が伝統として「村田ボーリング技研」に息づいているかも知れない。

孫としてはやっぱり「おじいちゃん」に会って色んな事を聞きたかったな!

ちなみに次は「100回忌」、その時子供達は60代後半なのできっとやってくれることだろう

2006_04/25

会社説明会 イン 渋谷フォーラム8

溶射屋 会社説明会.JPG 真剣に話しをしている?僕です。

今回の説明会に参加してくれた学生の中に「当社の仕事にとても感心があるので会社説明会に参加したい」とメール送ってくれた既卒者の方も参加してくた。

今回参加してくれた中に「将来の村田の柱になってくれる人」が居てくれたらいいと思う!

僕のくだらない?ジョークに全く反応してくれない人、ちょっとは反応してくれる人いろいろだが、やっぱりちょっとは反応してくれるほうが場の雰囲気も良くなるんだけどな・・・!

「お前がもっと上手にしゃべれって・・・・・?」

「その通りです!(笑)」

2006_04/21

日刊工業新聞に掲載(3) 「勝つ」オンリーワンに挑戦-溶射技術

溶射屋・村田光生.jpg セラミックレーザー彫刻ロールは15年前までは国内で生産する会社が無く海外から輸入していた。

本当は当社が国内で一貫生産できる最初の工場となるはずだったが同じ事を考えている会社が2社あり、結局半年位の間で当社を入れて3社が立ち上がることとなる。

このロールに関して私も積極的に新規開拓を行ったが、お客様へのPRが面白くてしょうがなかった(笑)

でも新規のアポイントを取るのが大変で1日4件のアポイントを取るのに1日がかり。

今ではエキスパートのようなコンピュータソフトがあるので簡単に時間が調べられるが当時はそんなものは無く時刻表を見ながらなので当然時間が掛かる。


大阪への日帰り出張の場合、静岡駅06時00分発のこだまに乗車すると新大阪には8時30分に着く。
午前中2件、午後2の新規訪問して新大阪に戻るのが5時30分前後。

特に自分のペースで話しが進んで見積もりを貰った日などの新幹線の中で飲むビールが特にうまかった

2006_04/21

日刊工業新聞に掲載 「勝つ」オンリーワンに挑戦-溶射技術

溶射屋・村田光生.jpg 僕の夢は、海外に行った際に出会った人から「日本には村田ボーリング技研と言う会社があるが知っているか」と聞かれること。
小さくても世界的に知名度のある会社にしたいと思っている。

夢は「まず紙に書くこと」そして
「声に出して言ってみる」、
「毎日それを見てニヤニヤする」と夢に近づくと誰かが言っていた。

そして「ツキは待っているもの」ではなく
「自分から掴みにいくもの」だとも思っている。







今日、日刊工業新聞の谷口支局長が会社に寄ってくれた。

「忌野清志郎」さん似の方でご自身も以前友人とバンドを組んでCDも出したことがあるそうだ。

今日は特に気合が入った顔つきをしている。
「あ!すみません。いつもでした・・・(笑)」

色んな話しをしていてこちらも元気を貰う。

ちなみに取材記事を書いて頂いたのは同じく静岡支局の伊藤さんです。
僕の要領を得ない話しを上手にまとめていただいて感謝しています。

二日目の記事で手しか写っていなかった私ですが、実はこんな顔をしています(笑)

皆さんこれからも宜しくお願いします

2006_04/19

日刊工業新聞に掲載(2) 「勝つ」 オンリーワンに挑戦-溶射技術

溶射屋村田光生.jpg 今日の日刊工業新聞に掲載された記事。

写真に写っているのは手前左が中途採用のO君(東京営業所勤務)

手前右がK君(東京営業所勤務・謹慎中?)

向かい左側は我が社の「営業職人」S課長
食い付いたら離れないガッツがあります。

向かい右側に手しか移っていないのが私(笑)
(手だけでも写っていれば上等!!)



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