社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

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2026_05/22

「ピアニストは、なぜ譜面を見ながら演奏するの?」

テレビなどで著名なピアニストが、譜面を見ながら演奏している姿を目にします。

もの凄い時間をかけて練習しているので、譜面は完全に暗記しているはずなのに、なぜなの?

気になって調べてみました。

「譜面を見ながら演奏するのは、『覚えていないから』ではなく、より正確で深い演奏をするため」

なのだそうです。

クラシックの演奏家ほど、膨大な曲を同時に抱えているので、ただ音を出すだけでなく、音の強弱やテンポ、さらには作曲家の意図まで細かく表現しなければならい。

譜面は「作曲家からのメッセージ」。

演奏中に譜面を見ることで、その場で解釈を再確認しながら、より完成度の高い表現ができるのだと。

オーケストラや伴奏などでは「他の演奏者とタイミングを合わせる」ことが重要になるため、譜面が全員の共通言語としての役割も果たしている。

、すべて暗譜(暗記)して演奏するピアニストも多いですが、暗譜は非常に集中力を使うので、万が一、記憶が飛んでしまえば演奏が止まってしまうリスクもゼロではありません。

あえて譜面を置くことで、安心して音楽の表現そのものに集中できるというメリットもあると。

楽譜を見るのは、どう表現するかを何よりも大切にしているから・・・。

「なるほどねぇ!!」

画像:Ai生成

2026_05/21

徹底して「聞き手」に回る。坂本光司先生から教わった傾聴の姿勢!

恩師、坂本光司先生。

今まで、先生と一緒に数多くの会社に視察に行く機会がありました。

企業訪問をする際、お伺いする会社のホームページなどに書かれてあることは、事前に頭に入れておく。

なぜなら、訪問するのは「より深掘りするため」だからです。

坂本先生は、講演会では時間が足りないくらい熱心にお話をされます。

しかし、いざ会社訪問の際にはガラリと変わり、徹底して聞き手に回り、相手から色んなお話を引き出すという姿勢を貫かれていました。

なので、私も縁あって企業訪問をさせていただく際には、必ず相手先のホームページを一通り頭に入れ、聞き手に回り、それを質問のネタにするようにしています。

訪問先の方に、 「おっ、そんなことまで調べてきてくれたのか・・・」 と、思ってもらうことが大事ではないかと。

この事前の準備と敬意が、何よりも大切なのだと感じています。

ちなみに、坂本先生はお一人で訪問される時には、きっと様々な質問をされているのだと思います。

しかし、私たち教え子や、何らかの団体で訪問した際には、ご自身は一歩引いて、必ず参加者に質問をさせるように促してくださいます。

周囲に学びと成長の機会を与えてくださる、本当にそんな温かい先生です。

画像:AI生成

2026_04/29

東海道新幹線で経験した「緊張のひととき!」

1990年から2000年頃、私は新規開拓専門の営業として全国を回っていました。

昨日の記事でも触れましたが、東海道新幹線を使っての早朝移動が多かったので、出発は自由席、帰路は東海道ツアーズの割安チケット「ぷらっとこだま」を活用して指定席に乗っていました。

(自由席よりも割安に加えて、飲料水付き)

時にはポケットマネーで500円を足して、2階建て車両のグリーン車に乗るのが密かな楽しみでした。

当時の東海道新幹線グリーン車(100系)は2階建て。

乗車するたびに私一人の「貸し切り状態」になることが多く、ゆったりと流れる景色を独り占めしていました。

しかし、その静寂を破る、今でも鮮明に覚えている「事件」が起きたのです。

東京駅から乗車し、貸し切り気分で寛いでいた私。

ところが新横浜駅で、数人の男性グループが乗り込んできました。

そのうちの二人が、なんと通路を挟んで私の真横に、向かい合わせで座ったのです。

しばらくすると、隣からつやのある、しかし凄みのある声でこんな会話が聞こえてきました。

「おやじが・・・」「総長が・・・」

「えっ! もしかして、裏社会の方々・・・!?」

生きた心地がしません。

心臓の鼓動が早くなるのを感じました。

そこへ追い打ちをかけるように、検札に来た車掌さんに対し、一人が「ウルセイ!」と一喝。

車内に凍り付くような緊張感が走りました。

熱海駅に到着する前に、どこからともなく子分らしき方々がスッと近寄ってきて、彼らと一緒に降りていきました。

姿が見えなくなった瞬間、本心から「ホッ・・・!」と大きなため息をついたのを覚えています。

あの時の緊張感は、まるで昨日のことのように今でも鮮明に残っています。

2階建て車両の思い出とともに、一生忘れることはないでしょう(笑)

画像:東海道新幹線 2階建て車両

 

2026_04/28

「最近はいつ乗っても混雑している東海道新幹線!」

30年前、新規開拓の仕事で全国を飛び回っていました。

その頃、移動手段といえば東海道新幹線。

早朝の出発時なので自由席を使っていましたが、帰りは疲れていることもあって、自由席よりも安い金額で指定席に乗ることが多かったです。

「ん?、どういうこと・・・・?」

当時は東海道ツアーズの「プラットこだま」をよく利用していました。

「プラットこだま」は、割り増し料金を支払って指定席を乗るのではなく、ワンドリンク付きで、自由席料金も安い金額で乗車できるシステムなんです。

そして、「プラットこだま」だと、自由席料金に+500円出すとグリーン車に乗ることができたので、自分のお小遣いで支払って乗車していました。

当時グリーン車は2階建て新幹線だったので、2階席で「一人しかいない」という貸し切り状態で乗車することも何回もあったんです。

2001年からはエクスプレス予約(EX予約)を使うようになり、自由席料金で指定席に乗っていましたが、当時は自由席が満席でも、指定席はガラガラということもよくありました。

それから25年。

今やEX予約は多くのビジネスパーソンにとって必須のツールとなり、「こだま号」は自由席より指定席のほうが高稼働という現象が起きています。

いつ乗っても混雑している、というのが今の状況です。

そこで、50年前からの乗車数推移を調べてみました。

AIで分析したところ、この50年で年間輸送人数は、なんと7,000万人も増えているんですね。

年代 推定年間輸送人員 時代の背景
50年前(1976年頃) 約 1.0 億人 国鉄時代、安定成長期
40年前(1986年頃) 約 1.3 億人 民営化直前、利用者が徐々に増加
30年前(1996年頃) 約 1.5 億人 JR化後、ビジネス・観光需要が定着
20年前(2006年頃) 約 1.6 億人 輸送効率の向上、利便性の拡大
10年前(2016年頃) 約 1.7 億人 インバウンド需要の増加期

2026_04/27

「水は買うもの」はいつから日本の常識になったのか?

普段、何気なく飲んでいるミネラルウォーター。

私が高校生だった50年前は、水といえば水道水が当たり前の時代。

「外国では、お金を出して水を買う」ということが信じられませんでした。

では、「日本ではいつから、水は買うものになったのでしょうか?」

気になって調べてみたところ、日本ミネラルウォーター協会の資料にその歴史が詳しく掲載されていました。

資料によると、ミネラルウォーターの消費が急増した大きなきっかけは、1993年(平成5年)の日本経済新聞の記事だったそうです。

そこには「エビアンのミニボトルを革製ホルダーに入れて持ち歩く若者のファッション」が紹介されており、これを境に500mlペットボトルの消費が一気に増えたといいます。

今から30年以上前、流行に伴って「水を買う」ことを当たり前に受け入れ始められたのですね・・・。

日本のミネラルウォーターの歩み

1868年:横浜・神戸の居住地の外人用として販売開始
1929年: メジャーホテル用に「富士ミネラルウォーター」販売開始
1967年:  ウィスキー水割り用(業務用)販売開始(第1次・水の時代)
1972年:  日本ミネラルウォーター協会設立
1982年:  家庭用ミネラルウォーター登場(第2次・水の時代/PETボトル登場)
1983年: 「六甲のおいしい水」の瓶詰・販売開始
1989年: 「山崎の天然水」「南アルプスの天然水」販売開始
1993年: エビアンのミニボトルファッションが流行し、PETボトル消費が増加
2001年: 国内生産数量 100KL突破
2008年: 200KL
2015年:  300KL
2019年:  369KL
2025年:  486万KL

写真:Ai画像(村田光生似の人物・笑)

 

2026_04/26

「武士は、なぜ改名していったのでしょうか?」

靖国神社にそびえ立つ、大村益次郎の銅像。

この像は、靖国神社の前身である「東京招魂社」の創建に尽力した功績を讃えて設置されているそうです。

大村益次郎の「旧姓は『村田』、幼名は『宗太郎』」。

私と同じ名字だということに、勝手ながら親近感を覚えています。

「昔の武士はなぜ頻繁に名前を変えたのでしょうか?」

疑問に思い、調べてみました。

大きな理由は「元服」にあります。大人になる通過儀礼として幼名を捨て、成人としての名を授かる。

また、出世に伴い主君から名前の一文字を授かる「偏諱(へんき)」という文化もあった。

これは単なる改名ではなく、 主君への忠誠を誓い、組織における重責を背負うという「決意の表れ」。

役職が変われば、見るべき世界が変わる。

武士にとって名前の変化は、まさに「成長と責任の証」だった。

「なるほどねぇ~!」

現代の私たちも名前こそ変わりませんが、日々の成長とともに、心の持ちようや視座を常にアップデートしていきたいものです。

2026_04/25

健康は「当たり前」ではなかったと気づく年齢になりました。

若い頃は、健康が当たり前だと疑ったこともありませんでした。

人間ドックで数字が悪くても、「まだ大丈夫」「そのうちなんとかなる」と楽観視して、生活を変えることもなく過ごしてきたし、貰った薬を飲んだことがありません。

しかし、気がつけば60歳代。

ふとした瞬間に体が重く感じたり、あちらこちらに痛みが出始めたり・・・。

自分の体が少しずつ変化していることを、ひしひしと感じる年齢になりました。

今では、「健康は、自然なものではなく、日々のちょっとした努力で維持していくものなのだ」と。

若い頃は何も考えなくても動いてくれた体も、今はメンテナンスが必要。

小さな努力の積み重ねが、これからの自分を支えてくれるのだと感じています。

日々体を大切にしている人と、そうでない人。

その違いは、長い目で見るときっと健康でいられる時間に大きく影響するのは間違いありません。

皆さんは、何か意識している習慣や、続けていることはありますか?

写真:1ケ月で25万歩達成 「完歩賞」