社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

徒然

2025_02/11

食洗器、脱着式かごの新しい使い方!

我が家は食洗器付きのキッチンなのですが、

食器は手洗いなので今まで使ったことがありません(汗)

食洗器の脱着式のかごは写真のように水切りかごとして使っています(笑)

食洗器

2025_02/06

一つの課題に集中してしまうほうです!

1つの課題に集中して取り組む方なので、

2つを同時並行で進行することがとっても苦手です。

期日が決まっている方を先に仕上げないと次の課題に手が付けられないので、2つの期日が均衡している場合が問題となる。

次々と課題をクリアしていく人がうらやましい。

皆さまは2つ以上の事を同時並行でこなせるほうですか?

2025_02/03

隣近所、一人減り、二人減り・・・!

我が自宅の隣近所、

子ども達は結婚しても同居しない、

もしくは嫁ぎ先の地域に住む。

高齢の夫婦の片方が亡くなり一人住まい。

そして高齢の独身者。

近隣9世帯のうち、一人住まいだった3世帯が施設に入居し、空き家。

一人住まいが2世帯。

転居し賃貸一軒屋となっているのが1件。

子どもがいて、次の世代に繋げる世帯は、

隣に住む長男夫婦しかいないようになってしまいました。

2025_02/01

「隣組」(となりぐみ)

我が町内は、今でも「隣組」という言葉が残っています。

隣近所の方が亡くなると、隣近所、背中合わせの人たち(隣組)がお葬式の受付をしたりしています。
隣組を調べてみました。

隣近所とのお付き合いがなくなってきてますが、名前だけは残っていて、最低限の機能をしているということなんでしょうね。

都会では死語になっているんでしょうね。

皆さまの地域はどうですか?

以下、Ai回答

隣組とは?
隣組とは、戦前から戦時中の日本において、地域住民を10世帯ほどの単位で組織化した制度。1930年代後半に導入され、戦時体制を支えるための基礎組織として機能した。

隣組の目的と役割

1、戦争協力の強化
隣組は政府の方針を末端の住民まで行き渡らせる役割を持っていた。
例えば、「国防婦人会」や「勤労動員」などへの参加を促したり、物資の供出(戦争のための資源提供)を進めたりした。

2、相互扶助
表向きは「住民同士の助け合い」を目的とし、病気や火事、災害時の支援を行う役割を担っていたが、実際には「互いの生活を監視する仕組み」にもなっていた。

3、情報伝達と住民統制
政府や警察の指示を迅速に住民へ伝達する役割を持っていました。
例えば、空襲警報や政府の指示を広めたり、住民が戦争に非協力的でないか監視することも求められた。

戦後の影響と現代との比較

戦後、日本は民主化され、隣組制度は廃止されたが、その後も地域社会の互助制度として、「町内会」や「自治会」などの形で影響が残っている。

2025_01/25

「ミツトヨ、海外全工場を閉鎖、国内回帰」

1月21日(火)の日刊工業新聞1面に「ミツトヨ、国内回帰」、「精密測定機器 海外全工場を閉鎖」の記事が掲載されていました。

「海外の全工場を閉鎖して生産を日本に集約し全面的な国内回帰を実施した。」

過去形なので、既に実施済みということでしょうか?

理由として、

1、経営基盤の強化と生産の最適化を図るため

2、安価な労務費を背景にした海外生産体制に限界があると判断したため

3、精密測定機器の生産を日本に集約し、国内生産能力を強化するため


製造会社なら、測定工具の「ミツトヨ」(非上場)を知らない人はいないくらい有名な会社です。

AIに海外全工場の社員数を尋ねたら2300人。(国内3,000人)

一時期、安い労働力の国に工場を作ることが当たり前になっていたので、国内の空洞化現象が起きていたのは間違いありません。

国内の生産能力を1.5倍にしたとはいえ、人手不足の日本に集約するというのはそれなりのメリットがあるということなんでしょうね。

写真:「ミツトヨ製」測定工具マイクロゲージ
ミツトヨ製測定工具 マイクロゲージ

 

2025_01/20

「さびしさを感じます!」

昨年末の12月31日に、朝ランでいつも走っている道沿いにある、寿司屋に張り紙をしてあるのが気になりました。

「12月31日を以って廃業致します。70年間有難うございました。」

コロナによって激減した客足が戻らなかったか、後継者がいなかったか・・・・。

昨年、同じく客が戻らず、閉店になった寿司店を知っています。

中小企業はまだまだ厳しい状態が続いているのではないでしょうか?

新店舗ができると嬉しいものですが、閉店となるとさびしさを感じます。

廃業案内

 

2025_01/06

「羽衣の松」伝説

三保松原(みほのまつばら)には「羽衣の松」があり、伝説が今に伝わっています。

舞台となる三保松原は、美しい海岸線と松林が特徴の景勝地なんです。

「羽衣の松」伝説

(天女の羽衣)
ある日、漁師の白竜(はくりゅう)が三保の松原を歩いていると、美しい松の枝にかけられた絹のような羽衣を見つけました。不思議に思った白竜が羽衣を手に取ると、そこに天女が現れる。

(天女との対話)
天女は白竜に「その羽衣がなければ天に帰れません。どうか返してください」と懇願します。しかし、白竜は羽衣の美しさに魅了され、返すことを渋る。

(返還の条件)
天女は困り果てましたが、白竜が「天女の舞を見せてくれるなら返す」と提案すると、天女は承諾し、羽衣を身につけると、優雅で神秘的な舞を披露しました。

(天に帰る天女)
天女は舞い終わると、感謝の言葉を白竜に告げ、羽衣をまとったまま天に帰っていきく。天女の舞の美しさとともに、白竜の心にも静かな感動が残った。

皆さま、静岡市にお越しの際はぜひとも三保の松原と羽衣の松を見に来てください。

交通手段:
JR清水駅から三保山の手線のバスに乗車し、「三保松原入口」で下車(約25分)
バス停から徒歩で三保松原(約15分)

三保松原