社長ブログ
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日々の気づきを投稿中

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徒然

2026_04/30

父が生前残した言葉!

亡くなった父が、生前よく口にしていた言葉があります。

「製造業が身の丈以上の事務所を作ると、その年がピークになる」

若い頃の私は、「そんなことはないだろう」と思っていました。

立派な事務所は会社の成長の証であり、社員の誇りにもなる。

むしろ良いことではないかと。

しかし、年齢を重ね、さまざまな会社の栄枯盛衰を見てきた今、この言葉の重みを実感しています。

まず、事務所を新築するタイミングは、多くの場合「業績が良いとき」

受注が増え、利益が出て、「この先もいける」と感じるからこそ大きな投資に踏み切る。

しかし、景気や受注環境は必ず変化するもの。

完成した頃がちょうどピークで、その後は徐々に下降線に入る・・・、そんなケースを何度も見てきました。

さらに、立派な建物は固定費が増加する。

減価償却費や維持費、固定資産税など、売上に関係なく毎年発生するコスト。

好調時には気にならなかった負担が、環境が変わった瞬間に重くのしかかる。

そして見逃せないのが「心理」の変化。

立派な事務所が完成すると、どこか満たされた気持ちになるもの。

「ここまで来た」という達成感が、知らず知らずのうちに危機感を薄れさせる。

攻める姿勢よりも守る姿勢に傾き、挑戦や改善のスピードが鈍ってしまうこともあるのではないでしょうか。

製造業の本質は、建物の立派さではなく、人と技術にあることは間違いありません。

社員一人ひとりの成長、協力会社との信頼関係、お客様への価値提供。

その積み重ねこそが、会社の持続的な発展を支えるもの。

父の言葉は、決して「事務所を建てるな」という意味ではなく、「外側に目を奪われるな」という戒めだったのだと思います。

どんな時も、身の丈を見失わず、中身を磨き続けること。

それが、長く続く会社の条件なのだと、今は素直に受け止めています。

画像:生成Ai画像

2026_04/27

「水は買うもの」はいつから日本の常識になったのか?

普段、何気なく飲んでいるミネラルウォーター。

私が高校生だった50年前は、水といえば水道水が当たり前の時代。

「外国では、お金を出して水を買う」ということが信じられませんでした。

では、「日本ではいつから、水は買うものになったのでしょうか?」

気になって調べてみたところ、日本ミネラルウォーター協会の資料にその歴史が詳しく掲載されていました。

資料によると、ミネラルウォーターの消費が急増した大きなきっかけは、1993年(平成5年)の日本経済新聞の記事だったそうです。

そこには「エビアンのミニボトルを革製ホルダーに入れて持ち歩く若者のファッション」が紹介されており、これを境に500mlペットボトルの消費が一気に増えたといいます。

今から30年以上前、流行に伴って「水を買う」ことを当たり前に受け入れ始められたのですね・・・。

日本のミネラルウォーターの歩み

1868年:横浜・神戸の居住地の外人用として販売開始
1929年: メジャーホテル用に「富士ミネラルウォーター」販売開始
1967年:  ウィスキー水割り用(業務用)販売開始(第1次・水の時代)
1972年:  日本ミネラルウォーター協会設立
1982年:  家庭用ミネラルウォーター登場(第2次・水の時代/PETボトル登場)
1983年: 「六甲のおいしい水」の瓶詰・販売開始
1989年: 「山崎の天然水」「南アルプスの天然水」販売開始
1993年: エビアンのミニボトルファッションが流行し、PETボトル消費が増加
2001年: 国内生産数量 100KL突破
2008年: 200KL
2015年:  300KL
2019年:  369KL
2025年:  486万KL

写真:Ai画像(村田光生似の人物・笑)

 

2026_04/04

「なぜ今、日本に外国人旅行者が押し寄せるのでしょうか?」

東海道新幹線に乗る機会がありますが、外国人旅行者を見かけない日はありません。

東京駅や京都駅などは外国人であふれかえっています。

なぜ、これほどまでに世界の人々は「日本に行きたい」と思うのでしょうか。

Aiに聞いてみました。

まず、日本は世界的に見ても治安が良く、街が清潔で安心して過ごせる国。

さらに、神社仏閣や和食、温泉、四季折々の風景など、日本ならではの文化や体験が豊富。

加えて、円安の影響により「質が高いのに比較的安い国」としての魅力も高まっている。

そしてSNSを通じて日本の魅力が世界中に広がり、「一度行ってみたい国」から「今すぐ行きたい国」へと変化している。

そこに日本人の丁寧なおもてなしが加わり、「また来たい」と思わせる力になっている。

これらが重なり、日本は今、世界中から選ばれる国になっている。

なるほどねぇ!

写真:生成画像

2026_03/30

「デアゴスティーニC62、製作の愉しみと苦労!」

2007年の発売開始から、2年の歳月をかけて全100巻が完結するデアゴスティーニ 蒸気機関車C62。

3カ月前、全巻セットを大人買い。

今年に入ってから、土日の時間を見つけては少しずつ組み立てを進め、昨日ようやく64号までたどり着きました。

作業は接着剤を使う工程が多く、これがなかなか一筋縄ではいきません。

液体がはみ出してしまったり、意図しない場所に付着してしまったりと、なかなか思うように組み立てられないのが正直なところです。

間近で見ると、あそこもここもと、修正したい箇所や気になるところが山ほど見つかる(汗)

しかし、こうして少し離れて眺めてみると、蒸気機関車ならではの重厚感が漂い、実にかっこいい。

「細かいところは気にせず、遠目で楽しむのが一番」と自分に言い聞かせながら、完成を目指しています。(笑)

2026_03/27

「消えゆく隣組の灯火。更地が物語る時代の移ろい!」

私が住む場所の隣組。

かつては9家族があり、組内で不幸があれば互いに手伝い、支え合って暮らしてきました。

しかし、月日の流れは想像以上に早いもの。

子供たちは健やかに育ち、外の世界へと羽ばたいていく。

残された親たちも、連れ添った配偶者を見送り、やがて高齢となって施設へ入る。

あるいは、子供たちのもとへ身を寄せる。

そして、気がつけば6家庭がいなくなり、この1年間だけで、3つの家が解体され、更地になりました。

重機が入り、かつての団欒の場が形をなくしていく光景は、言葉にできない寂しさが込み上げてきます。

形あるものはいつか無くなる。

頭では分かっていても、慣れ親しんだ街並みが無くなっていく様子は、とても寂しいもの。

私たちの社会が直面している縮図を、今、ひしひしと感じています。

2026_03/20

幕の内弁当の由来とは?江戸の芝居小屋から生まれた「おもてなし」

静岡駅構内で売っている「幕の内弁当」は昔から変わらず愛されている定番商品です。

「なぜ『幕の内』と呼ばれるようになっのでしょうか?」

「幕の内」とは、お芝居の第一幕が終わり、次の幕が開くまでの休憩時間(幕間)のこと。

江戸時代末期、この限られた時間に役者や裏方、そして観客が手早く、かつ満足感を得られるようにと、握り飯に数々のおかずを添えたのが始まりだそうです。

私たちが日常的に使っている「お弁当」という言葉も、この「幕の内弁当」を略したものが定着したという説も。

 幕の内弁当といえば、ご飯が「俵型」に型押しされているのが特徴ですが、これは、かつて芝居の合間にさっと手でつまんで食べられるよう「おにぎり」を詰めていた名残り。

我が静岡市の「東海軒」の幕の内弁当も、確かに綺麗な型押しがされています。

この形を見るたびに、限られた「幕間」の時間を豊かに楽しもうとした、江戸の人々の「粋」な心意気を感じずにはいられません。

写真:東海軒 幕の内弁当

2026_03/19

「歌舞伎座の舞台で使われている三色の「定式幕」の意味とは?」

歌舞伎座の舞台で使われている、「黒・柿色・萌黄色(もえぎ)」の幕を定式幕(じょうしきまく)というそうです。

あの三色に、どのような意味があるか興味を持ちました。

・「黒」

意味:格式、荘厳、引き締め。

・「柿色(かきいろ・オレンジ)」

 意味:
柿色(柿の熟したようなオレンジ色)は、豊穣や活気、江戸の明るいエネルギーを表すとされている。

かつて芝居小屋が幕府から公式に営業を許可された「興行の証」としての意味合いも持つ。

・「萌黄(もえぎ・緑)」

意味: 萌木色(若草のような緑色)は、若さ、成長、または舞台の清新さなどを象徴する。

「これから別世界へ入る期待」と「終わり」を知らせることの象徴。

江戸時代から変わらぬ伝統の色調を守り続けるその姿には、時代を超えて観客に「勇気と感動を与えたい」という職人や役者たちの魂が、この幕には宿っているのではないでしょうか。