8月6日付の日刊工業新聞4面「技能のツボ」に村田ボーリング技研を取材していただいた記事が掲載されました。 日刊工業新聞さんにはいつも色々と取材をして頂いているのでとても感謝しております。 日刊工業新聞 8月6日 「技能のツボ」 7月16日に取材に来社した日刊工業新聞社・記者のMさん(∩.∩) ちなみに2006年4月18日から4日連続で掲載をしてもらったこともあります。 この時の取材は確か3回に渡る取材で結構こんを詰めてお話したなぁ・・・・。 今読み直してみると気恥ずかしいもんですね(∩.∩) (記事拡大できるのが(4)だけです・・・・すみません!!) 日刊工業新聞社に掲載 「勝つ」 (1) 日刊工業新聞社に掲載 「勝つ」 (2) 日刊工業新聞社に掲載 「勝つ」 (3) 日刊工業新聞社に掲載 「勝つ」 (4) 追伸 今朝静岡県を中心とする地震が起きましたがニュースを見る限り大きな被害は今の所ないようです。。 我が家でも時計が落ちてガラスが割れた程度の被害ですみました。 村田ボーリング技研(株)の社員の皆様・・・・工場の被害状況を確認いたしましたが、不安定なものが倒れていた程度でしたのでご安心ください・・・・村田光生
中国にもあった「ASUKURU」 アスクルは日本での成功モデルを用いて中国にも展開しているとは知りませんでした。 注文した翌日に届くかどうかは聞きませんでしたが「明日来る」をうたっているので、そうなのでしょう(∩.∩) あすくるのカタログ・厚みが2cm位ありました・・・値段のほうも確認しませんでしたが多分日本と同じような金額では? 日本と同じようにお菓子やカップ焼きそば・カップラーメンも販売(*^-^*)
8月3日〜6日まで中国上海にある村田上海工場に出張に行って来ました。 上海の天候は日本と同じようなぐずついた天気が続いているようです。 1週間ぐらいまえには37度にも温度上昇したとも言っていました。 村田上海工場 中国・工場内シリーズ・・・工場内をはっきりと撮影できないのでアップで撮影!! 上の写真は印刷ロールにファインセラミックを溶射〜 仕上げ加工した後にレーザー光線を照射して作るセラミックレーザー彫刻ロール。 オレンジ色の工場内クレーンと青い色のレーザー室 工場内の黄線 事務室入口正面にあるガラス(左)・オートバイのゴムの泥除けに広告がかいてあった(右) 大型 ギヤ軸のギヤ部(全長1500mmぐらいの軸)
8月3日から6日の3泊4日で中国上海に出張に行って行きました。 昨年の11月に行ってから約9ヶ月ぶりの上海・・どう変わっているか楽しみです。 上海には虹橋国内空港と東浦国際空港の2つがあります。 虹橋空港のほうが都心に近くて便利な空港。 都内でも羽田国内空港と成田国際空港の2つがあって羽田空港のほうが都心に近いのと一緒、 ・・・なので最近では羽田空港〜虹橋空港直通便ができていて便利になっています 上海航空(羽田〜虹橋空港)・・・・残念ながら富士山が見える席 (この飛行機の場合は進行方向に向かって左側窓側席が富士山が見えたハズ) 昨年11月に機内から撮影した富士山・・とても綺麗でした(この飛行機の場合は進行方向向かって右側の席で見えました) 機内食・・・日本食と比べるとだいぶ寂しいかな! 上海航空 上海虹橋空港 スモークを貼った車内から撮影・・・・スモーク越しに見る景色は幻想的な雰囲気でした。 今回一緒に出張した紅○さんと現地で働く鈴○さん 溶射屋(左)・中国総経理の省○さん(右) 前菜 途中から撮影し忘れてしまいまいこれしかまともに撮影しませんでした(´・_・`) 羽田空港第一ターミナル地下1階にある天鳳麺・・・五目ラーメン(あんかけ) 地下1階で空港職員にラーメンの美味しいところを聞いたらこの店を紹介してくれました(∩.∩) 大きな地図で見る 中国上海
次郎長の墓がある梅蔭禅寺 静岡県静岡市い清水区内にある梅蔭寺(ばいいんぜんじ)は「清水の次郎長」のお墓がある寺! (このお寺から徒歩5分程度の場所に生家があります) 清水の次郎長(1820年〜1893年)は本名「山本長五郎」 文政3年(1820年)清水市美濃輪の船持ち船頭の三男に生まれたが母方の叔父である米穀商「甲田屋」主の山本次郎八の養子となる。 次郎長の名前は、幼少時代の仲間に「長」と言う子供がいたため長五郎のことを「次郎八」の家の「長五郎」で「次郎長」と呼ばれた。 1843年(23歳)で甲田屋の主人となっていた次郎長は人を斬り清水を出て無宿渡世の門をくぐる。 諸国を旅して修行を積み交際を広げ成長した次郎長は清水港に一家を構えた。 梅蔭寺 遺物館 梅蔭禅寺看板と博打道具 1868年(48歳)3月から7月まで東征府判事から街道警固役を任命され静岡県の駿河、遠江、愛知県三河の地域の治安維持に当る。 戊辰戦争中に海軍艦隊を脱走した咸臨丸が暴風雨にあい清水港で修理のために清水港に停泊をしてたところを新政府軍艦隊に発見され見張りのために船に残っていた船員全員が死亡。 その後逆賊として駿河湾に放置された遺体を新政府軍よりとがめられながらも「死者に官軍も賊軍もない」として収容して埋葬した。 この時、静岡藩大判事の任にあった旧幕臣の山岡鉄舟はこれを深く感謝したとされる。 博打を止めた次郎長は清水港開港に尽力し、英語教師を招いて青年に英語を教え、晩年は開墾事業に没頭し、三保・日本平・富士市裾野大開墾など幾多の社会公益の為に尽くした。 明治26年(1893年)享年74歳をもって天寿をまっとする。 今回「清水の次郎長」をご紹介いたしましたが、皆さんが知らない以外な一面があることをお分かり頂けたかと思います。 今日は真面目な内容の溶射屋でした(*^-^*) ちなみに三保は昨年の静岡で開催したポータルサイトサミット翌日の早朝撮影会に行った場所です。 次郎長の墓石は賭博打ちが縁起を担いで削っていくので何代かめの墓石だそうだ。 次郎長一家の墓石 右から、仙右ェ門・小政・大政・石松・清水次郎長・一代目お蝶・二代目お蝶・三代目お蝶(お蝶は妻のこと) この「静岡の溶射屋」は果たして静岡を変えることが出来るのだろうか? 大きな地図で見る 静岡市清水区 梅蔭寺
7月16日(日)に幻想的な空模様と虹と綺麗な夕焼けを見た翌日の5時の5時50分過ぎの富士山です。 怪しげなな空模様だったので早起きしていつもの見晴らしのよい場所に急ぎました。 静岡市一面がもやがかかっているなか、富士山が見えたのはとてもラッキーでした(o^ ^o) / 暖かくなるにつれて霞やもやが立ち込めて富士山が見える日が少ないのが誠に残念です。 かすむ富士山 北側に見えた青空の一部がまぶしくみえる 雲の動きが早く気が付いたらご覧の通りの雲が出現していました 静岡市全体が霞んでいました!
今日早起きしたので久し振りに朝焼けを見た。 「感動ぉ!!」「感謝・感謝」 冬は日の出が遅いので綺麗な朝焼けを見る機会も多いが夏季は日の出の時間が早いのでその機会が少ないし、空も霞がかかったようになっているので澄み切った青空というのが少ないような気がする。 夏だから日の出が早いと思っていたのだが「ん?今5時22分」、ちょっと前はもっと早かったハズだけどな? 夏至を調べてみたら6月21日ごろが一番昼が長い日なのでもう日1日と日の出時間が遅くなっているという当たり前の事に気が付いた。 「夏至からもう1ヶ月半も経っているんだ!!」・・「へー」 皆さんは日1日と昼時間が短くなっていることに気が付いていましたか??」 (上3枚)朝焼け 8月8日 5時14分〜 朝焼け 6月17日 4時36分 夏至に近く太陽が建物の左からわずかに見えるが今朝の太陽はかなり右に寄っていることが分かる。 それにしても上3枚はニコン一眼レフデジカメ(D-80)での撮影に対して一番下はパナソニック・ルミックス・コンパクトデジカメ(DMC-LX2)で撮ったものでこちらのほうが色が艶やかに撮れている。 空模様の違いはあるにせよまだまだ一眼レフの能力を引き出していないことが分かります。 「これからもっと経験をして腕を上げなければ・・・・」(笑)