社長ブログ
溶射屋
日々の気づきを投稿中

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2010年10月

2010_10/05

靖国神社 その2

靖國神社に正式参拝する機会がありました。

今回、久しぶりに靖国神社に行って分かったのは戦争で亡くなったのは人間ばかりではなく、100万頭に近い軍馬、数万頭の軍犬と誠実な伝令として戦場で活躍した伝書鳩の霊も慰めているということを知りました・・・。

 
参集殿

建物は参集殿・・・個人や団体で昇殿参拝(正式参拝)する方々のための受付、控え室があります。

 
戦没馬慰霊像

戦没馬慰霊像(せんぼつばいれいぞう)

戦歿馬慰霊像に思う・・・説明板より

馬ほど心の美しい動物はない。

明治初期から昭和20年8月15日の終戦に至るまで、幾多の戦役にかり出され百万頭近い馬が戦陣に斃(たお)れた。軍馬補充部で育成された軍馬や農家からの購買または徴発馬が、斥候(せっこう)、行軍(こうぐん)、戦闘のため戦場を駆巡る乗馬として、あるいはいかなる難路にも屈せず重い火砲を引く輓馬(ばんば)、軍需品を背負い搬送する駄馬(だば)として戦地に赴いた。

御国のために戦場を駆巡り、屍(しかばね)を野辺に晒(さら)したもの数知れず、終戦まで生き長らえても、再び懐かしい故国に還ったのは僅か1、2頭である。山紫水明の生まれ故郷を思い起こしたことであろう。それでも黙々として生を終えた・・・・・。

 
軍犬慰霊像

軍犬慰霊像・・・・兵士にとって最愛の仲間であったジャーマン・シェパード。

昭和6年(1931年)9月満州事変勅発以降、同20年8月大東亜戦争終結までの間、シェパード犬を主とする軍犬は我が将兵の忠実な戦友として第一線で活躍し、その大半はあるいは敵弾に斃れ、あるいは傷病に死し、終戦時生存していたものも遂に一頭すら故国に帰ることがなかった。
この軍犬の偉勲を永久に伝え、その忠魂を慰めるため有志相はかり広く浄財を募りこの像を建立した。平成4年3月20日

軍用犬は地雷原と思われる場所に行くと解き放たれ走り回るということもしていたそうです・・・。

あるHPによると民間で飼育されていた犬も徴兵され、数万頭が投入されたそうです。

 
遊就館

遊就館:靖國神社の鎮まります英霊のご遺書うあご遺品をはじめ、英霊のまごころやご事績を今に伝える貴重な史・資料を展示しています。

遊就は高潔な人物に交わり学ぶという意味で収蔵品は10万点に及ぶ・・・・・遊就館パンフレットより

 
零式艦上戦闘機

零式艦上戦闘機・・・・・ご存知、皇紀2600年・昭和15年に採用されたので零式と名付けられる。

この遊就館は残念ながら時間が無くて見学することが出来ませんでした。

何年か前に入場したことがありますが戦争の悲惨さを今に教えてくれるので靖國神社に行く機会があれば立ち寄ってみてください。

 

2010_10/04

靖国神社

靖國神社に正式参拝(本殿内・昇殿参拝)に行って来ました。

今回は団体での参拝だったですが個人での受け付けもしてくれているようです。

参拝方法は皆様の所にある神社の本殿内での参拝と同じだと思います。

「本殿に行くと魂が揺さぶられます」・・・・神主さんからそう説明がありました。

参拝中に嗚咽している方がいたので心から魂が揺さぶられたのだと思います。

246.6千万余柱が御祭神と聞いて今の平和の日本があるのもこれらの人たちの命がけの元にあるのだと思うと身が引きしまる思いでした。

 
本殿

靖國神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。後に、1853年(嘉永6年)のアメリカ東インド艦隊の司令官、ペリーの浦賀来航以降の、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる・・・・・WikiPrdiaより

靖國神社の御祭神は幕末の嘉永6年(1853年)以降の明治維新、戊申の没、西南の没、日清戦争、日露戦争、満州事変、第二次世界大戦などの大概事変や戦争に際してひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の心霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に準じられた尊い心霊(靖国の大神)としてお祀りされています。

ここには明治維新のさきがけとなった坂本竜馬、吉田松陰、高杉晋作、橋本佐内といった歴史的に著名な幕末の志士達をはじめ、戦場で救護の為に活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工業で亡くなった学徒などの軍属、文官、民間の人たちも数多く含まれているそうです。

このように多種多様な方々の尊い神霊として一律平等に祀られているのは、靖国神社創建の目的が「国家のために一命を捧げられたこれらの人々の零を慰め、その事績を後世に伝える」ことにあるからです。

明治天皇が命名された「靖国」という社号は、「国を靖(安)んずる」と言う意味で、靖國神社には「祖国を平和にする」「祖国を平安にする」「平和は国家を建設する」という願いが込められています。

・・・・・・靖國神社パンフレットより

今回、本殿にて参拝してみて・・・・・・・、

「色んな諸事情があるにせよ、日本国の為に命を捧げた人たちに正式に感謝の意を表することが出来ないなんて、なんかおかしくない?・・・」と言う気持ちを強烈に感じました。

 
靖国神社境内案内図

靖國神社境内案内図

 
社号票(しゃごうびょう)

社号票(しゃごうびょう)

 
第一鳥居(大鳥居)

第一鳥居(大鳥居)・高さ25m・・・そびえ立つ鳥居で見る価値十分

 
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大村益次郎像・・近代日本陸軍の創設者で靖國神社の創建尽くした。

 
神門

神門:中央の扉には直径1.5mの菊花の紋章が取り付けられている

 
菊花の紋章

直径1.5mの菊花の紋章

 

2010_10/03

タニサケ会長 松岡浩さん

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以前、日本でいちばん大切にしたい会社」の著者・坂本光司先生の企画ツアーで「ゴキブリだんご」で高収益を上げている(株)タニサケと言う会社に見学に行ったことがあります。

そのタニサケがお客様向けのに発行している会報誌に、「考えさせられる文章」が掲載されていたのでご紹介します。

「ごみ」 松岡 浩(タニサケ会長)

毎朝、会社周辺の道路の清掃をしていて気づいたことがありました。

それは、落ちているごみに対して色々な人がいることです。

① 道路のごみに無関心で全く気づかない人。

② 道路のごみを見て「ごみを捨てるバカな人がいる」と言うだけ
   
で拾わない人。

③ 道路のごみを、誰かに言われて拾う人。

④ 道路のごみを、周りで人が見ているからと拾う人。
    (スタンドプレー)


⑤ 道路のごみを見て「街の恥」「日本の恥」と思い拾う人。

⑥ 道路のごみを見て、自然体で拾える人。

・・・・・・私は、歳とともに、ごみを拾う勇気が出てきましたが、

今の段階は④か⑤で、まだまだ⑥には程遠いです。

(株)イエローハットの創業者の鍵山秀三郎さんの「ひとつ拾 えば、
ひとつだけきれいになる」の名言と「高い理想をかかげながらも、

足元のごみを拾うことをおそろかにしない」の森信 三先生の教えを胸に、

私はごみを拾い続けます。

この文章を読んで自分は②の、「道路のごみを見て「ごみを捨てるバカな人がいる」と言うだけで拾わない人」だと言うことに強烈に気が付かされました。

今までは口だけで手が動いていなかった溶射屋です。

今すぐにできるかどうかは分かりません・・・、

でも、やれる範囲でやっていこうと思いました。

感謝の心・・・・やらせていただきますの心・・・です♫

綺麗な世の中だと気持ちがいいでしょうね。

今、我々ができることをして行けば必ずや実現できるのではないでしょうかヽ(^。^)ノ

 

2010_10/02

必然として受け入れられますか?

私達は、自分にとって都合の良いことは直ぐにfでも受け入れ可能です。

「あっ!私ってツイてる・・・これは必然だ!!」なんてね(^^ゞ

かくいう私も直ぐにそう思っちゃいます(^^)

でも、人は不思議なことに自分に都合が悪いようなことや嫌なことは直ぐには受け入れることができない動物!

「あの時、ああしておけばよかった・・・こうしておけばよかった・・・ああでもない・・・、こうでもない・・・、私ってなんてツイていないんだろう・・・」と。

そんなことをくよくよ考えていると精神的に病んでしまう結果に!

起きてしまった事実(過去の出来事)は絶対に変えることができません。

だから嫌なことがあったら「自分の努力が足りなかった」と直ぐに受け入れて(必然と思って)、改善、改良、乗り越えて行ける人は成長のスピードが早いと思う。

どうせ、いつかは受け入れることになる訳ですから、気持ち一つで「スパッ!」と切り替えができることができれば人生楽しくなりますねヽ(^。^)ノ

文章で言うほど簡単ではないかも知れないけど、

そうしよう!」と思うのと、

そんなことはできない!」と思うのでは180度結果が違うのではないでしょうか?

 
静岡グランシップ・会議ホール「風」
 静岡グランシップ・・・・・・会議ホール「風」収容人員500名
 

2010_10/01

ゼロ戦

太平洋戦争でおそれられたゼロ戦の正式名称は”零式艦上戦闘機”と呼ばれ海軍の主力艦上戦闘機だったことはあまりにも有名。

このゼロ戦の「ゼロ」はどこから持ってきた数字か知っている方はいらっしゃいますか?

僕はつい最近まで知りませんでした(^^ゞ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、

ゼロ戦・零式艦上戦闘機

零式艦上戦闘機(ゼロ戦) 三菱重工製
運用開始1940年4月~1945年8月 生産数10,430機

 

先日、たまたまあるカタログを見ていたら「零式艦上戦闘は支那事変から大東亜戦争を通じて使用された海軍の主力戦闘機。

採用された年が皇紀2600年(昭和15年)のため「零式」と名付けられる
」と書かれてありました。

皇紀とは初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする、日本の紀年法。

皇紀は西暦よりも660年プラスとなるので2010年は皇紀2670年となります。

そう言えば自衛隊の装備は○○式といいます。

ちなみに陸上自衛隊の90式戦車は1990年に正式に予算化(制式化)されたことを意味するそうです。

○○式と言う言い方は大日本帝国時代から使われている日本の伝統的呼び名なんですね♪

ゼロ戦って子供の頃から大好きで、プラモデルを作っては部屋の中にぶら下げて喜んでいました!(*^_^*)

 
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