数ヶ月かけてコツコツと組み立ててきた、デアゴスティーニの蒸気機関車「C62」が昨日、ついに100%完成しました!
主にダイキャストや真鍮で作られており、総重量は10kg以上あります。
ずっしりとした金属の存在感を眺めていると、ふとある歴史の疑問が湧いてきました。
太平洋戦争中、日本国内では「英語(敵性語)」の使用が厳しく禁止されていました。
野球のストライクを「よし」と言い換えた話は有名ですが、では形式名に「C」や「D」といったアルファベットが含まれる蒸気機関車は、当時どう呼ばれていたのでしょうか?
調べてみると、当時の国鉄では、「表記はそのまま、読み方だけを和風のカタカナに置き換える」というルールが存在していたそうです。
具体的には、A=ア、B=イ、C=シ、D=デ、E=エ と発音していました。
つまり、D51形蒸気機関車は「ディー51」ではなく、「デ五十一(でごじゅういち)」と呼ばれていたと。
では、機関車に装着されているナンバープレート(名盤)の表記自体もカタカナになっていたのでしょうか?
金属が非常に貴重だった戦時中、全国に何千両と走っている車両のプレートをすべて外して「デ51」などと作り直すのは、資材や労力の面から不可能だったので、プレートは「D51」のままだったそうです。
この模型は、車輪を電池で回すことができ、蒸気が出る「シュッ、シュッ」という音と、「ボォ~」という汽笛音を鳴らすことができることがたまらない魅力なんです。
完成した模型の重みを感じながら、激動の時代を駆け抜けた機関車たちの歴史に、改めて深いロマンを感じています。
写真:ディアゴスティーニ「C62」



コメント(4)
こういうの、作ってみたいなあ。
金属製ってことは普通の接着剤じゃダメでしょ。ハンダ付け(?)
大昔、僕がまだ幼稚園ぐらいの頃、親父が蒸気機関車を紙で作りました。
機関車と炭水車あわせて40センチぐらいかな。子供の目にも本物そっくり。
車体をもって動かすとちゃんと動輪や連結の棒(?)が動きました。
でも子供が手加減せずに動かしてて、そのうち壊れてしまいました。
1939年に貫通した関門鉄道トンネル。
戦前の施設で本州と九州を結ぶ軍の重要施設。
そこを走ってたのがSL。
幼少の頃はこのトンネルを通り小倉までSLで
行ったものでした。
D51のあだ名「デゴイチ」。
元々は「デコイチ」だった(所説あります)。
給水温め器(ボイラーに入れる水を熱い蒸気であらかじめ温める熱交換器)という円筒状の部品が煙突の前に置かれた為、前から見ると「おでこの上に一文字」のように見えたから。
ただし、初期に造られた機体(1~100号機、欠番有り)はこの給水温め器が煙突の後ろに前後方向に取り付けられた為、「なめくじ」と呼ばれた。
おはようございます。
凄い迫力です!!
コツコツと作り上げる事にも、魅力を感じます。